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日本むかしばなし その①

こんにちは。
今日は木漏れ日をテーマに写真を撮ってみました。しゃがみこんで時に這いつくばるような姿勢で写真を撮っているところを人に見られました。言い訳のしようがない所在なさを体験しました。

さて今日は青源の誕生についてのお話です。
創業は1625年。「天下を取ろう(1600)関ヶ原」と覚えたあの関ヶ原の戦いからわずか25年後に、青源は生まれました。
征夷大将軍は徳川家光の時代です。
創業者の名は「青木源四郎」と言います。

青木源四郎さんの祖先を辿っていくと、ルーツははるかかなた、大分県。
国東(くにさき)地方で、かの有名な大友宗麟に仕えた人でありました。
大友宗麟から家督を譲り受けた大友統義(よしむね)の代になってからも変わらずお仕えし、大名にお供してひたちの国(現在の茨城県)までやってきました。

関ヶ原の戦いを経験し、一体祖先は何を思ったのでしょう。
そこからわずか25年後、青木対馬守(あおきつしまのかみ)は、商人「青木屋源四郎」として、下野国(しもつけのくに)宇都宮、現在の宇都宮市に米問屋を創業したのでした。
これが「青源味噌」の始まりです。

            つづく

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