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日本むかしばなし その2

おはようございます。
青源新本店の店舗部分、少しずつ表情が見えてきました。ここから、どんな色の壁になっていくのか、ワクワクです!

さて青源の歴史は青木屋源四郎が米問屋を創業したところまできました。

栃木に住む方以外でも、「日光東照宮」はよくご存知かと思います。
日光東照宮は、2代将軍徳川秀忠が家康の遺言を受けて1617年(元和3年)に造営しました。
しかしその頃の日光東照宮は、簡素なもので、今のようなものではありませんでした。
今のような豪華絢爛な見た目になったのは、3代将軍徳川家光のときです。1634年から1636年にかけて造替されました。
※画像はお借りしたものです。

これだけ豪華なものを作るには、沢山の彫り師や人夫が必要で、なんと、のべ200万人も関わったそうです!

それだけの人数が、日光東照宮のために3年間滞在したのですから、日光周辺の街は大バブルです。景気の良い商店はとても多かったそうです。
青木源四郎の営む米問屋「青源」も、例外ではありませんでした。

しかし月日は流れ、1773年、宇都宮は大きな災害に見舞われます。「安永の大火」です。

               つづく

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