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小説 青い思い出

  空気が満ち満ちていく。草原を駆け抜けていく。もしくは、息が詰まる。
 どれも相応しくないと思った。だからどれも選ばなかった。詰め込んだ。意識しなければ酸素が肺に届かないーーー喉すらも通らない。苦しくなる。頭が痛くなる。
 思い切って息を吸えば、酸素が肺に満ちていく。肩が上がる。一生懸命に、あるいは必死に、息を吸う。視界がぼやけて、力が入らなくなる。本当は、空気なんて1ミリも吸っていないんじゃないかと思うほどに。
 緊張した時はぐるぐると、自分の立っている場所を歩き回る。そしてしゃがんで、人目を憚らず呻き声を出す。これは違う感覚だった。興奮とも拒絶とも取れない何かを私は今、感じている。
 いつの間にか、部屋の温度が30度になっていることに気がついた。人間が敏感なのか、それとも私が敏感なのか。集中するためにつけた両耳のイヤホンも、呼吸を止めてしまう要因の1つになった。
 小説を書くには、技術も方法もアイデアの引き出しも何もかも足りていないと今朝気がついた。人生について語り、その中で読者に発見をもたらすのか、人生の教えを説くのか、感情や関係を描くのか。上手い人はピアノでいくつもの曲を弾くように場面展開をしていく。滑らかで支離滅裂でない、芯の通っていて、何を訴えたいのかよくわかるような、そんな物語を描く。私は真逆のような気がする。私の中で踊っているのは幼くて自由奔放な子どもで、あれもこれもと思考を増やしてはそれを全てここに書きしるしたいと言ってくる。ただ、昨晩読んだ小説を読んで感じたのだ。天才や神童や、才能のある者の感覚は、見ていてとても気持ちが良く、共感ができる。そんな小説や人間に惹かれた。そしてその衝動や感性のそばにずっといたいと願っている。
 例えば、自分だけの絵の具を見つけ、それに焦がれて絵を描くとか。
「ねえ見て!」
両手いっぱいに青い青い油絵具を塗りたくった少女が言う。
「うわぁ・・・」
「洗うの大変そう」
ペタペタと両手をくっつけては、擦って、また開く。ついには手の甲にまで、手首にまで広がっていた。少女は満足そうな笑みを浮かべる。
「わ、痒くなってきちゃった」
発疹やなにか影響が出てはたまらないと、残念がりながら慌てて洗い流すも、石鹸は真っ青になるだけで、全く落ちない。3、40分経ちようやく落ちたけれど、手はどことなく青みがかり、怪物のような手になっていた。少女は名残惜しそうにその手を眺め、しかし満足した顔で頷いた。
「これ、私好きな色だ。」
と呟いて、筆を洗い、作品を棚に置いて、荷物を背負った。
「そういう色したエイリアンいるよね」
帰りの電車の中で、いつも一緒に帰っている友人がそう言った。確かに、と頷く。
「この色すごく気に入っちゃった。一目惚れってこういうのをいうのかなあ」
美術室に新しく入ってきた絵の具を贅沢に手に塗った。顧問の先生や周りの部員は勿体無いと私を恨んだだろうか。
「なんて色?」
「プルシャンブルーっていうんだって。」
チューブから出された絵の具は黒と言ってもいいような濃い色をしていた。手に乗せて少し伸ばした時、私の元に春が訪れた。美しい青。蛍光灯の灯りにキラキラと輝き、肌の色を透過しつつ、はっきりとした青をしていた。あまりに美しかったので、そこから夢中になり、絵を描くことを忘れて私は肌に絵の具を伸ばし続け、しまいには手を3、40分洗うことになってしまったのだ。その青が、薄まって薄まって、それでも自分の肌を染め上げている。それさえも美しい。爪の間も染まり、血管が強調され、エイリアンや怪物と本当に似ているようになった。その青は数日お風呂に入ったところあっさり消えてしまったのだけれど。
 美術室に行くたびにプルシャンブルーという絵の具を思い出す。ついには文具屋でプルシャンブルーの水彩の絵の具を買ってしまったほどだ。しかしやっぱりあの深みのある美しい青は、油彩絵の具にしか出せないものだったので少し落胆した。それでもそれを持っているということに高揚感を覚え、大事に大事にしまった。

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