こうしてフジテレビを辞めた。ふざけた男のマジメな告白。

いいか、啓太。会う人全てを元気付ける、勇気付けることができる。

そんな大人になれ。

背中で語れば十分だ。

そう言ってスタバのコーヒーを飲みながら優しい笑顔で社員に挨拶しながら奥へと消えていった。

大学生の時、まだ世間を何も知らない僕がお世話になった人生で最初の恩師だ。


それから間も無く…僕が社会人2年目の夏、恩師は他界した。


だが、今でも僕の心の中に彼は生き続けている。

目つき、姿勢、自信に満ちた表情、全てが他の大人とは違った。

なんともうまく表現できないが、体全体から放たれるオーラが圧倒的であった。

生まれて初めて「大人ってカッコいい」と思った方だった。

僕も誰かの人生観を変えてしまうくらい、ポジティブな影響力を与えれれるカッコイイ大人になろう。そう心に誓った。

だから僕の人生でやりたいことは大学生の時から変わっていない。

誰かの背中を押して生きていく。


大学生時代は野球部の学生コーチを努めて、選手たちの背中を押した。

社会人になる時、人の背中を押せるような大きな影響力のある仕事って何だろう?と真剣に考えた末、選んだのはテレビ業界だった。

中でも、僕が選んだ先は当時、三冠王に輝き続けていたフジテレビだった。

当時、間違いなく、テレビ局の中で最も元気になれる局だった。

そんな会社で働いて経験を身につけたい。ただの上っ面の自信なんかじゃなく、 しっかりと社会で通用することを証明したい。

そんな気持ちで就職活動に挑んだ。

2008年、僕が就職活動の真っ只中、就職ランキングで堂々の1位を飾っていたのがフジテレビだった。

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就職先として、最難関だったフジテレビを受けることを恩師に告げると、

本気か?

本気でやりたいことなんだな?

だったら簡単だ。

誰もやらないことをやれ。誰もやらないレベルで。


でも息詰まるなよ。

その分、気分転換も必要だ。

俺だって、趣味がある。

うまく、遊ぶんだ。

とニカっと子供のような表情を浮かべて不安そうにしていたであろう僕を勇気づけてくれたのを覚えている。

おそらく、僕が多趣味な大人になったのは、恩師のこの時の余裕がカッコ良かったからだと思う。

だから芸能界ではヒロミさんのようなカッコイイ大人に憧れた。

そして、そんなヒロミさんともお仕事をさせてもらい、今では遊びに連れて行ってもらえるような、嘘のような人生が手に入った。

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少し話は逸れてしまったが、本気で叶えたいことは、本気でやっていると、人生の方から近づいてきてくれる。

人の言うことはあまり聞かないタイプの僕が、なぜかこの恩師の前では少年のような素直でピュアな気持ちになれた。

その分、恩師のギラッとした眼差しは僕の心の奥底まで、すべてを見透かしているかのようで、なんだか不安だった。

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恩師から頂いた言葉どおり、僕は誰もやらないレベルで自分磨きをした。

毎日毎日、ノートがビッシリ埋まるくらい、人生について考えた。

寝る間を惜しんで、将来のこと、人生のこと、人に与えたい影響、自分が叶えたい未来、全ての自分の地図を描いた。

就職活動で内定するとか、就職活動を勝ち取るとか、そう言う次元ではなく、将来自分が何をやりたいのか。徹底的に考え抜いた。

そしてまずは10年間、ちゃんとした経験と実績をつもう。そのために目指すはフジテレビ1本だ。そこで活躍して、実績を身につけて、自分なんかにできたんだからみんなにもできる、ということを証明していこう。と決めた。


「自分が核となって太陽のように周りを照らします」


就職活動の時、満面の笑みと自信に満ちた表情で、一寸のブレもなく、堂々と面接官に伝えた。

日テレでも、TBSでも、テレ朝でも、同じことを言った。

他局は端にも棒にも引っかからなかった。

だが、フジテレビだけはなぜか、とんとん拍子に進んだ。自分の本音を話せた。

最終面接が終わり、最後の電話がかかってくる時、僕は正座しながら床に携帯電話を置いて待っていた。

約束の時間になっても電話が来ない。

絶対に大丈夫。絶対に大丈夫… 呪文の様に呟いていた。

こんなにも時間が長く感じたことはなかったかもしれない。

部屋に時計はなかったはずだが、1秒1秒針が時間を刻んでいるかのようだった。

緊張しながら、今か今かと電話が鳴るのを待った。

人生で最も長かった5分が過ぎたころ、携帯のバイブレーションが鳴った。

番号を見ると、明らかにフジテレビの人事部からの電話だった。

嬉しさと安心とが入り混じり、頭の中が混乱したまま、僕は電話に出た。

「遅くなってごめんねー!おめでとうー!」

人事部のまりこさん(仮名)の元気な声で自分が内定したことを自覚した。

それから先の会話は覚えていない。

いついつの何時に内定者の懇親会があるから来てくださいみたいな内容だったかと思う。

電話を切ったあと、僕は涙したのか、逆に冷静だったのか、初めての感情すぎて覚えていないが、この上ない喜び、心の底からのガッツポーズをしたことと、初めて自分が認められた気がして胸が強烈に熱くなったことだけは鮮明に覚えている。

こうして、僕は10回近くにも及ぶ面接の末、見事内定を勝ち取った。

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就職活動とは、就職することが肝心ではないと僕は思う。

就職活動を通して、この先の人生をどうするのか、一体自分はどんな人間で、何をすることが喜びなのか、自分が本当に手に入れたいものは何なのか。

そんなことを真剣に考える人生で最初のチャンスだと思う。

だから何社から内定をもらった!とか、どことどこから内定をもらった!とか、

そんなことははっきり言ってどうでも良いと思っている。

社会人になれば、学生の頃とは比べ物にならないほど忙しくなる。日々、目の前のことで埋め尽くされ、いつしか自分の目標や本当にやりたかったことが見えなくなってきたりするものだ。

だからこそ、自分が本当にやりたいことや、新たにやってみたいことを見失わないための環境を作る必要がある。

僕は大学生の時に描いたビジョンを何度も何度も練り直し、軌道修正しながら、

時には全く違ったビジョンや夢を書き起こしながら、ここまでやってきた。

本当にそれが自分のやりたいことなのか?

いつもこの問いを自分に投げかけてきた。

そして心がNOだと叫べば、人と違う行動を恐れずにしてきた。

周りからは変わった奴だと思われていたかもしれない。

でも、それでいい。

自分には嘘をつかない。

自分の中だけでは満点を取るつもりで生きるのだ。

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僕はフジテレビ時代、「人生のパイセンTV」と言う番組を立ち上げた。

最年少の演出家デビュー!フジテレビ最年少でレギュラー獲得

世間はそんな薄っぺらい肩書きを面白がってくれるものだから、色んな記事に掲載させてもらった。

番組コンセプトは「人からバカだと思われても自分を貫く人って超リスペクト」

番組の中では、おバカな大人にたくさん出て頂いた。

みんな、変わり者だ。

・1年のうち、365日を短パンで過ごす短パン社長

・EXILEに憧れすぎているチャラ市議会議員

・年収200万円なのにフェラーリに乗る青年

思わずバカだなぁと思ってしまうが、どこか可愛げのあって愛される大人であり、そんなおバカな先輩のことをパイセンと呼ばせて頂いた。

そしてこの番組では、作っている自分もおバカな大人でないと説得力がないから

おバカに努めた。

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どこ目指してるんだよと言われるくらいに筋トレをし、日サロに通い黒光りした肌をトレードマークに、裏方でありながらもテレビに露出しまくった。

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マイアミ啓太という愛称はこの番組で付けてもらった愛称だ。

驚くことに、番組が終わって4年以上も経つのに、未だにパイセン TVが大好きでした!と言ってもらえる機会がよくある。

何か面白いことで世の中を元気付けたい、バカだなと思われてもいい、人の背中を押すような勇気ある行動をしていたい。

そんな想いが通じたのかもしれない。

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【会社を辞めてまでやりたいこと

昨年11月にフジテレビを辞めた。

サラリーマンとして一生勤め上げることが全てではなくなった。

令和になった今、昭和のサラリーマンである必要はない。

会社員としてできることに限界を感じた。

誰かの背中を押して生きていきたい。

やっぱりここに立ち戻る。

きっと今の時代、

会社を辞めたい。

もっと自由に働きたい。

好きなことを発信して生きていきたい。

そんな風に考えている人の方が多いのではないか。

だったら自分がそれを体現して、同じように考えている人たちの支えになろう。

そう思って会社を辞めた。

「フジテレビの名刺がなくなったら大変だぞ」

「安定してるのにもったいない」

「君のやりたいと言ってることはよく分からない」

散々色んなことを言われた。

でも、自分の人生は自分が舵を握っている。

人に舵を握られてたまるか。

どんな風が吹こうと、どんな波が来ようと、その梶を離さずに立ち向かっていけばきっと、向こう岸にたどり着けると心底思っている。

でも、一人では何もできない。大海原にポツンと浮かぶ小さな船になりたいのではない。小さな船かもしれないが、大きな集団となって大海原を渡っていきたい。

僕の船に乗ってもらうのではなく、

それぞれ、船の船長は自分。

そんな船長たちの集まる場所を作りたい。

時に一緒に乗り込んだ方が早いなと感じたら乗組員を探すかもしれない。

こっちの方が今は海が穏やかです!と教えてくれる人がいれば素直にそっちに舵を切る。

そんな、同じ方向を見て、向こう岸を目指す仲間が必要だ。

そう思ってオンラインサロン を立ち上げた。

一人ではできないことも、仲間がいれば可能になる。

時に僕が沈みそうになったら引っ張り上げてくれる。

方位磁石が壊れて変な方向に進み出したらみんなで戻してくれる。

そんな仲間と共に大海原に出たいと思う。

僕が提供できるものとしてはテレビの作り方に動画の作り方、撮影の方法に編集の方法、Youtubeの始め方から企画の練り方、演出の方法、と今までやってきたことは全てシェアできるが、ただの動画好きが集まるサロンを作るつもりはない。

僕は人が好きだ。

人の背中を押して人が成長していく姿を見ていたい。

だから、今の自分よりも何かひとつでも成長したい。

新しいことを身につけたい。

今までと違う世界を見てみたい。

なんか、オモシロそう。

なんだっていい。

今の自分に少し変化を求めている人は思い切って飛び込んでみて欲しい。

色んな人を見てきた。

色んな人から学ばせてもらった。

その全てを出していこうと思う。

所詮、自分の中に留めておいても忘れて腐っていくだけだ。

僕の経験とスキル、人脈、考え方、すべてをシェアする。

それをビジネスにしてもらっても構わないし、自分で同じようなことをしてもらっても構わない。

とにかく、自分と携わった人がイキイキと、活気だってくれていればそれでいい。

動画の他にも、会社を辞めたい人の悩みに応えるコラム、フリーランスとして働くためのスキルの身につけ方、仕事の紹介、独立するためのノウハウ、心得、など、今の自分に限界を感じている人、逆に自分はまだまだこんなもんじゃない!と燃えてる人にとってプラスの情報を提供できるサロンにしていきたい。

僕の周りには好きなことを発信し続けて成功している社長さんたちがたくさんいる

どうしたらうまくいくのか。

こんな方法があるのか。

サラリーマンとしての世界だけでなく、視野の広がるイベントを開催し、様々な人の人生観を伝えていければと思っている。

そして、そんなのを伝えるのも、動画があると本当に便利。

だから動画は無限の可能性を秘めていると思う。

動画というツールを使って何か新しいことに挑戦する。

動画というツールを使って人を喜ばせる。

動画というツールを使って人を感動させる。

そんな事業をサロンのメンバーと共に成し遂げていきたい。

今動き出しているのはコロナで打撃を食らったホテルや温泉、観光事業の方々の 動画を無料で作成し、PRしていくというプロジェクト。

資本となるお金が溜まっている訳ではないので、クラウドファンディングをしたり、スポンサーを集めたりして可能にしていこうと思っている。

最後に…「ですます調」では、熱さが伝わないと思い、偉そうな語り口になってしまい、申し訳ありません。実物はもっと柔らかいです(笑)

マイアミ啓太サロン↓↓↓  参加をお待ちしております ↓↓↓


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このサロンを通して、実際に仕事を作っていったり、メンバー同士で仕事をしてもらったり、今僕の中にある構想を形にしていきたいと思っています。

そんなプロジェクトをまとめてくれるリーダーシップのある方お待ちしています。

具体的な事業プランや動画案件はサロンに入ってくれたメンバーにクローズドでお伝えしていきます。

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