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ファッションインジャパン展

いらない話

誤字ってなかなか重要な気がする。インスタでたまたま芸人について投稿するアカウントを見つけて眺めていたのだけれど、間寛平を風間寛平と書いていて、この人はあまりお笑いが好きではないのかもしれないなと思って見なくなってしまった。とはいえ毎日何かを発信するのは大変なことで、僕はこのnoteを毎日書けていない。

余計な話

さて、何かを発信するためにはその分インプットしないといけない。情報だけでなく、心を刺激する何かがあったほうがいい。
大学で芸術を学んでいるにもかかわらず、僕は絵がよくわからないのだが、それでも美術館に行く。絵の解釈はできないし人の解釈を聞いていると退屈と感じてしまうのだが、できるだけ芸術に触れるようにしたいとはいつも思っている。

ファッションインジャパン展

国立新美術館の「ファッションインジャパン展」に行ってきた。お客さんが多くて疲れてしまった。
美術館はガラガラであるべきだと思う。資料と自分が1対1で対峙できるような空間であるべきだと思っている。これは学芸員の資格を取るための授業を取っている時に感じたことである。ちなみに国立新美術館はコレクションを持たず、企画展を常時開催している面白い博物館である。
1945年以降の日本のファッションを10年ごとに区切って紹介しているのだが、作るものだった服が買うものになり、海外のファッションをそのまま取り入れていたのが独自の進化を目指すようになる過程が見られて面白かった。森英恵や山本寛斎など名前を知っている人の作品があったり、ボウイや資生堂が出てきたりして、ファッションに詳しくない僕も置き去りにはされなかったが、隣で見ていた服飾学生と思われるお姉さんのほうが楽しんでいるんだろうなとは思った。個性があって素敵な服を着て見に来ている人が多く、お客さんを捕まえるだけで2021年の展示が作れるかと思った。
つまらない男だから「イェイェ」のCMが耳に残り、それが一番の印象になってしまった。それでも真剣にメモを取っている服飾学生が何を考えているか想像しながら真剣に服を見るというのは楽しい時間だった。なんでこの服は古臭い感じがするのか、ごちゃごちゃしているように見えるのか、素人なりに必死に鑑賞した。
服の紹介を読むとデザイナーはこんなテーマを作品に込めているというのがわかり、勉強になった。韓国の女優、ペ・ドゥナは演技をするときファッションやメイクからキャラクターのイメージを得るらしい。実感はできていないがファッションの力や意味を少し理解できた気になっている。モテる服ではなく、自分の思いを表現できるような服選びができるようになりたいという気持ちと、服のことなんてわからないんだから無駄にこだわるなと思う気持ちが戦う展覧会だった。

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