トラウマの再演……を、やめてみた
※長いだけの文章です、と先に伝えておきます。
トラウマの再演について、読みかじってみました。
頭でっかちの分析を防ぐべく、自分の症状に関連する文献読むの避けてたのですが……これは、もっと前に読むべきだったかも。。。
被虐待者は、支配する側される側、という対等じゃない関係を持ちがちというのはよく知られていますが、私もまさにこのパターンでした。その不自由さは、人と関わる為の対価だとかつて信じていて、でも結局疲れてしまって、結局終わってしまうのが常だった。
先日少し触れた元恋人で写真の師匠の彼、4年一緒に居たのですが。最後の方は結構しんどくてですね。とても才能があって頭が良くて尊敬しているのですが、本質の追求をするというか、誤魔化しが許せない人で。
私は、被虐待者の期間が長かったので、つい相手の好きそうな事を言う習慣が身についてしまっていて、本人も自覚しないまま、演技を続けてしまっていて。洞察力鋭い彼はすぐに気付き、意見を言わない事、本心で話さない事を責める事が増え、私は怒られると解離して更に悪化、にも関わらず表面上は論理的かつタフに振る舞うので、更に彼が怒るという、最悪の事態でした笑
別れ話が出ても、なあなあにしたり色仕掛けで誤魔化したり(笑)していたので、彼はそれも許せずもっと頻繁に攻撃的になり。私の精神はボロボロになった訳です。最終的に、向こうから別れを告げられて終わったのですが、半身もぎ取られるような痛みと苦しみで。今思うとこれは、典型的な愛着トラウマの症状でした。見捨てられる事への恐怖心から、前後不覚となってしまう。今でこそわかるのは、関係を維持する為の必死な演技や策略は、全て恐怖や焦燥感から来ていて。彼の事は気に入っていたし尊敬もしていたと思いますが、彼が攻撃すればする程、暴力的だった私の家族と「同一化」して、あの手この手で、「今度は上手くやろう」と繰り返すトラップにハマってしまっていたのだと思います。典型的なトラウマの再演です。
(書いてて、ほんと私迷惑……って思いました笑)
その少し後で、今の臨床心理士の先生のところに通うようになり、更に半年後、彼と再会しました。(同じ暗室利用なので)
元々写真や文学や建築、その他あらゆる面白い話をよくしたり、同じユーモアを共有したりもしていたので、頻繁に連絡を取るようになり、同じロケーションで撮影をしたり、外でランチなどをしたり、友達っぽくなっていたのです。(精神症状の事も、早い段階で話しました)
そんなこんなで半年程経った頃、先に書いた通り、あるきっかけで、彼が私を非難してきた。とても怖くなり、ミュートをした。
一日過ぎ、トラウマの再演について少し読み、ふと、彼にインタビューしてみたくなった。もう会わないなら、ついでにケーススタディで学びたくなった。転んでもタダでは起きたくないなぁ、という浅ましさ。
私「あのね、あれから色んな文献読んで、考えてた。
あなたは普段は優しくて面白いのに、安心した途端に、怒るのは怖い。
そして私は、トラウマを再演するような行動を、きっと無意識に取っていて、それで、あなたの攻撃性を誘発してる可能性がある。」
彼「僕は論理的にどうして相手がそう考えるのか知りたいけど、君はそう質問しても逸らすようで、フラストレーションは溜まるかも」(やっぱり)
私「その理由は多分、自分の心見えづらい事、それから、本当の考え伝える習慣があまり無かったから。虐待されると、そうなっちゃうんだよ。相手の好きそうな言葉を想像して喋る癖がつく。近頃は、やめるようトレーニングしてるけど、まだ難しい。」
(中略)
私「私の症状が原因のフラストレーションであなたが怒って、気の毒って思ったかも。だからもう、会わなくても大丈夫。」
そしてここで……いや、違う、そんな事思ってないのに!と、自分の中の幼女が登場しました……
私(の中の幼女)「怒る男の人、怖いんだもん。何も考えられなくなっちゃう。」
この言葉遣いと率直さ、、、私から出てきた?と驚いたものの、さっきまで話していた内容より、ピッタリ心と重なってる。。。目からウロコでした。みんなこんな感じなのかな?
彼はまた友達付き合いを続けたいそうだけど、私の中の幼女がまだ怖がっているのと、それがただのトラウマから来る過剰反応なのか、または彼もDV体質で私の心にとって悪影響なのか、両方なのか、今の時点では判断出来ず。(彼の名誉の為に…手をあげられた事は、ただの一度もないです)
今回の収穫→以前と違い、この先会っても会わなくても、どちらでもいいというか、ニュートラルな心境で、これは私にとってはとても新しい感覚。(みんなこんな感じなのかな?分からない事だらけ)
独りになる不安、見捨てられる恐怖が皆無って、清々しい。生まれてこのかた、初めてかも知れません。
臨床心理士の先生のところで、もう少し整理してこようと思います。
追記:
今の治療、トラウマケアに入る前は、記憶を無くし、何度も何度も虐待者である家族のもとに戻り、笑わせたりプレゼントを渡したり気を良くするような行動をとったりしてました。無意識に、次こそは巧くやろうって、思ってたんでしょうね。。。人生の殆どを、家族や家族と同一化出来る対象とのトラウマ再演劇場に費やして、我ながら、努力家というか、諦めが悪いというか……(まるで『アバウト・タイム』、または賽の河原か……) 完全なる労力の浪費で、その時間返して!って言いたくなるけれど。
それでも、今の臨床心理士の先生に出逢わなければ、確実に残りの人生も、トラウマ再演だけで終えていたと思うので、前向きに考えて行きたいと思います。