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愛犬の死の意味

2022年12月3日、愛犬が亡くなった。名前はチョコちゃんで、17歳の黒いトイプードルの男の子。私が9歳の時に家族の一員となり、アメリカから日本に戻ってからも 、私が大人になるまでずっと、家族を見守ってくれていた大切な存在だった。

これを書いている時は数週間後の年末で、実家に帰省している。チョコちゃんのいない家は、何か足りなくて寂しい。いつもチョコちゃんに会うのを楽しみに帰っていたので、家にまだ残っているチョコちゃんのベッドの方を何度も見ては、もういないんだ、と思い出して悲しくなる。残り香はところどころにあって、まだいるような気もするけど、肉眼で見て、手で直接触れられないのは切なくて、心を締め付けられる。

私は試練のとき、なるべくその意味を考えるようにしている。宗教を信じているわけではないし、何か根拠があるわけでもない。辛いときに自動的に発動するサバイバルメカニズム、現実逃避かもしれない。でもショックで自分の世界が崩壊しかけたとき、何とか繋ぎ止めてくれるのが、何の根拠もない発想だったりする。  

なので、私にとってチョコちゃんが人生にいたこと、天国に行ったことの意味を書いてみたい。

チョコちゃんが教えてくれたこと

私がチョコちゃんから一番教わったことは、正直であり続け、自分を貫いても、愛情深い生き方ができる、ということだった。

チョコちゃんは愛嬌を振りまいて甘えるような、犬っぽい性格ではなかった。自分の自由を何より重んじ、嫌だと思ったら全力で態度に示す。抱っこもハグも嫌で、やってみるとすぐに抜け出そうとする。基本的にひとりを好み、邪魔をすればウーっと容赦なく唸る。オブラートに包むどころか、オブラートを食いちぎってペッと吐き出すような潔さ。ものすごく自立していて、自尊心が高く、頑なに自分軸を貫くような力強さがあった。

オブラートを食いちぎってペッと吐き出す
チョコちゃん。嫌な時はわかりやすく牙を剥いて教えてくれた。

それと同時に、本当に優しかった。私が泣いていたとき、寝転がったままそっと、床に触れていた私の手に頭をのせて、慰めてくれた。年をとってからは、やれやれという風に抱っこもハグも許してくれた。家族が喧嘩をしているとそわそわしていたし、和気あいあいとしているとリラックスしていた。そうやって敏感に空気を感じ取り、寛容さを示し、静かに見守るのが、チョコちゃんの愛情表現だったんだな、と今ではわかる。

チョコちゃんの導き

私の人生の大変化のときも、チョコちゃんはそばにいた。2年前、仕事に忙殺されていた時、予定されていた海外赴任が中止され、実家に戻ることがあった。チョコちゃんと戯れ、絵に熱中する時間を半年ほど過ごせて、初めて自分に正直になれて、仕事を変えようと決めた。その時にチョコちゃんがそばにいたのは偶然でない気がする。正直に生きているチョコちゃんといて、心の純粋さを取り戻せたからこそ、自分も正直になる勇気を出せたんだと思う。チョコちゃんが私を導いてくれたのかもしれない。

実家に戻っていた時の私とチョコちゃん。疲れていた私の心を癒してもらった。

私は周囲を気にしすぎて自分軸がぶれてしまうことがある。他人に迷惑をかけるのを恐れ、完全に正直であれない自分とよく葛藤している。しかしチョコちゃんは最後まで、自分をしっかりと貫きつつ、周りを照らし続けていた。正直でありながらも、周囲を愛で包めるということを生き様で示してくれた。

チョコちゃんの死の意味

仕事を変えた後の私は、毎日絵を描ける生活を手に入れられた。そこからキャリアとか、いろんな固定観念を手放し、北欧に行こうと動き始めた矢先にチョコちゃんが亡くなった。

もちろん歳もあるけど、このタイミングで亡くなったというのは、生き様として、目に見える形で私たちに教えるものが完了した証なのかもしれない。地球にいる家族を、天国から見守る時期になったのかもしれない。死は終わりじゃなくてフェーズの転換に過ぎないのだと思いたい。

亡くなる数日前のチョコちゃん。とても幸せそうな顔をしていた。

冷静に書いているけど、帰省していて泣きそうにならない日なんてない。つい昨日か一昨日も、チョコちゃんのベッドに覆い被さって、「会えなくて寂しいよぉ~」と声をあげて鼻水を垂らしながら泣いた。できることならずっと一緒にいたい。その一方で、天国に行ったチョコちゃんを呼び戻したいとは思わない。

もしあらゆるものに意味があり、命が役目をもっているとしたら、死は地球での役目を立派に全うしたということ。一緒にいる時間の長さよりも、お互いから何を感じ、何を学んだかの方が重要なのはわかる。

そして、今はこうやって学んだことを書いているけど、ひとつの命から学ぶことが、文章一つに納まる訳ない。これからも時間が経つ中で、いろいろと学んだことに気づかされていくんだと思う。誰かからの学びは、死後も続いてく。

悲しみが完全に癒えるのには、時間の助けを借りるしかないけど、こうやって自分でも少しずつ意味を見出しながら、学びながら、一緒にいれたことに感謝しながら、ゆっくりと立ち上がっていけばいいんじゃないかな、と思う。

最後に、

チョコちゃん。今まで一緒にいてくれて、そばで見守ってくれて、大切なことをたくさん教えてくれて、本当にありがとう。これからもずっとずっとずっと、愛してる。

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