見出し画像

絵を描きはじめたきっかけ

絵を描きはじめたのは割と最近ですが、きっかけは昔まで遡ります。少し長くなるかと思います。

小さい頃

私は物心ついた頃から絵を描いていました。
家中のコピー用紙に落書きしたり、ペンを使い切って怒られたり笑
母が絵本の読み聞かせをよくしてくれて、常に絵に囲まれていました。    

写真は幼稚園の頃に描いた絵です。『おだんごパン』という絵本のキャラクターを真似て描いたものになります。20年以上経った今でも持ってくれている母には感謝です。

アメリカで過ごした小学校時代も、絵で私を知ってもらい、人とつながれ、褒めてもらえたので、たくさん描いていました。

日本に戻って・・・

調子が狂いだしたのは小6の頃。アメリカから帰国して日本の小学校に通い始めると、浮いた存在になりました。皆親切に接してはくれるけど、距離を感じる。絵が上手い子がたくさんいて、自分の絵は見てもらえませんでした。

そもそも誰も絵に関心はなくて、成績の良し悪し、親の仕事や年収、家の豪華さで人を見ているようでした。「帰国子女だからお金持ちのはずだ」と言われ続け、息が詰まりました。しばらくして転校生が来て、その子がいじめられるのを見て、周りの子が怖くなりました。

成績優秀な子たちが尊敬されているのを見て、私もそうなれば良く思ってもらえる、悪口を言われない、いじめられないと思い、勉強を頑張りました。この頃から絵を描くことが少なくなりました。

絵を捨てた日々

中学でも優等生であれば認められる、良く思われる、守られると思って人一倍勉強。成績は常に上位で通知表はオールA。

高校ではさらにエスカレートし、興味のあることには背を向けました。芸術は勉強に関係ないから切り捨て。文系に惹かれるけど将来を考えて理系に。もともと理数は大の苦手だったので、いくら頑張っても成績は下がっていきました。周りに知られるのが怖くて、テスト結果を見られないように必死でした。それでも優秀と言われ、恥ずかしさでいっぱいでした。

その後なんとか大学の建築学科に受かったので上京。大学に入ったら楽になるかと思いきや、成績がふるわず、頑張っても結果が来ず、優秀でなくなって、自分の価値がわからなくなりました。このころから鬱っぽくなって、一日中家にこもることが多くなりました。

それでも良い出会いに恵まれたり、周りの助けがあったりして無事卒業。建築を勉強したし、スキルがあった方が良いし、学科卒だったらこれかな、と現場で働くことに。

毎日5:30に起き、7:00にはデスクについて夜遅くまで残業。帰宅後はコンビニ弁当を食べてシャワーを浴びて寝るだけ。土曜日はへとへとで一日中ベッドにこもり、日曜日は資格学校で勉強。何の楽しみも感じない日々が続いて、「何のために今まで頑張ってきたんだろう」と行き詰まった気持ちになり、鬱っぽさが戻ってきました。

感情と向き合いたくなくて、仕事以外は基本寝るかネットに逃げるようになり、そんな堕落した自分が情けなくて恥ずかしくて、次第に誰とも話さなくなりました。

リハビリ

そんな状態が数ヶ月続き、よく涙が出るようになり、限界を感じ、心を許せる姉に相談。「自分に厳し過ぎる。もっと自分に優しくしよう」と言われました。すぐには変われませんでしたが、少しずつ外出したり、家族と話したりして自分を労りました。そうして2020年の夏、ふと絵が好きだったことを思い出し、絵の具や筆を買いました。

最初は少ししか描けませんでしたが、次第に描きたいものがあふれ出てきました。絵を描いていると心が静まって浄化されるようでした。 

その後、運よく実家から働けることになり、ゆっくりとした時間を過ごして絵に没頭。10数年ぶりに、周りの目や評価を気にすることなく、心から楽しんで絵を描けました。そうして楽しく絵を描いているうちに、家族や友人から絵を欲しいと言ってもらえて、それなら描いたものを売ってみようかな、と思って今に至ります。

まとめ

以上が絵を描き始めたきっかけになります。
まとめるとしたら、

ありのままの自分で十分だったことに気付いた

ということです。

絵はどうでもいい、優秀さがとりえ、人に認められないと意味がない、そう信じていました。でも優秀である必要も、人に認めてもらう必要もなかった。絵が好きな私のままでよかった。心の声を無視して、変な思い込みに洗脳されて、自分を見失うと苦しくなる。

もし昔の自分に今会えるのなら、背中に手をあてて「よく頑張った。もう無理をしないで。力を抜いていいんだよ」と言ってあげたいです。

最後までお読みいただきましてありがとうございました🌿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?