保守化する若者、って、私のことかもしれない
最近叫びたいことがない、ということが気がかりだ。
高校生の時、それこそ叫びたいことが体中に溢れかえっていて、「叫べその名を」なんて、青春の縮図みたいな脚本を書いたりもした。
(内容は忘れたけれど、群衆にまぎれた無個性から個を取り戻せ的な内容だった気がする)
学校と家庭という、あまりに狭い世界の中で息苦しさを感じて声をあげたのだけれど、今となっては、思いこみに縛られていたからこそ、あんなことを書いたんだなと実感する。
あの時できないと思ったことは、その実、やろうとしなかったか