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不安症だってパニック障害だって関係ない『人生はよりよくなるためのチャレンジの連続』 1

20代の終わりにストレスへの対応ができず、ある日突然パニックになった。それ以来、不安に支配されていた長い長い日々。

何かをしようと思っても、それを邪魔する心の声。
「私にはできない」「世の中危険なことであふれかえってる」「何かあったらどうする?」「助けてくれる人なんて誰もいないよ」そんな声が邪魔して一歩も前に出ない。

そんな中結婚と離婚を経験し、東京から再度実家の田舎に戻った30代半ば。
「愛とは?」「これからどう生きていくか?」不安の足枷を持ちつつ自問自答する中、救いを求めて出会った牧師先生の言葉。

「本当にやりたいことは、それをしないと死んでしまうとさえ思うもの。そこまでの気持ちでなければ本当にやりたいことではないのだから気にしなくていい。」
そんな日は来るのだろうかと、牧師先生の言葉を胸にそっとしまった。

不安で前に進めない自分をダメなやつだと卑下しそうになった時は牧師先生の言葉を思い出し、「今はその時ではないだけ」と思い直し過ごす日々。そんな私に、不安を凌駕する「居てもたっても居られない!」がやってきました。

新しい人生に向けての東京での再出発。
その決意に至るまでの間にも、居てもたっても居られないチャレンジの連続でした。

不安症やパニック障害で人生を生きずらい方のお役に立てればと、東京に出発するまでのチャレンジを順を追ってご紹介したいと思います。

1.機を織りたい

牧師先生とのお話しからしばらくたって、私が挑戦したのは機織りへのチャレンジでした。
機織りしてるっていうと、「鶴の恩返しの?」とよく聞き返されてましたが、その機織りです。

なぜ機織り……?

その頃の私はこれからどう生きればいいのかを模索する日々を送っていました。実家に戻り、生活面ではすっかり両親に甘えさせてもらっている不甲斐なさ。パニックへの予期不安と自己否定な日々を過ごしていました。そんな私に、近所に越してきた楽器作りで生計を立てているご夫婦を紹介してくださる方がいました。風貌もご夫婦そろって長髪で、竹など楽器の材料が豊富な田舎に越してきた、ちょっとスピ系の自由人。

私も南米の楽器で笛を吹いたことがあったので話は合いました。そのご夫婦との出会いを発端に、居るわ居るわ、ものづくり集団のようなクリエイティブな人たちがうちの町周辺に何人もいるじゃないですか!

田舎の自然に引き寄せられた「楽器作り」「ガラス工芸」「家具づくり」「陶芸」等のものづくりの人脈があっという間に!

私の中に新しい風が吹きました。
それまでの田舎での生活は、なんとなく人の目を気にしていたところがあったかもしれません。でもものづくりの彼らは人と違うことを気にもしていません。ただ自分が好きな事をしているのです。心が自由なんです。
私にとってはワクワクする出会いでした。

そしてその出会いから、気が付けば悲しげな表情になりがちだった私の顔色も、少しずつ変わっていけました。

それだけではなく、新しい風からの刺激は、私の中で「自分も何かを生み出したい」という思いになり、子どものころからずっとあこがれていた草木染や機織りにつながって行きました。

とっくの昔に封印してきた憧れの機織りですが、「自分の中から何かを生み出したい」「不安に邪魔されたり、パニックになったらクリニックに行けばいいし、お守りの薬だってある!」「諦めないでやってみようよ」その思いで、やりたいことをまずやってみることに決めたのです。

その後、ご縁あって幸いにも憧れとなる師匠と出会い、実家から車で1時間ほどの山間の工房で修行ができることになりました。師匠との出会いからほぼ毎日通いました。工房の雑務を手伝うことで修行代は取らないという師匠の言葉に甘え、毎日毎日通いました。

工房を開け放つと山からそよいでくる風が心地よく通り、機織り機や草木で染めた絹糸の香りに包まれる空間。ここでの過ごす時間が大好きでした。
振り返っても至福の日々です。

ところがその充実した至福の日々も、師匠が工房をたたみ他へ移住する事となって、半年ほどで卒業することになってしまいました。

とても残念なことでした。
ただ工房での修行の日々で、観光客相手に師匠の代わりにレクチャーするまでになったころには、自己否定の強かった自分への思いが随分変化していたように思います。それまでの誰もが知らない「新たな私の人生に踏み出した感覚」でした。

そして、卒業するタイミングで全財産をつぎ込んで、私も師匠の工房に並ぶ機と同じ西陣の機を手に入れる事になるのでした。(2へつづく)

工房にあった機織り機のイメージ画像





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