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サーフィンみたいに

私は、デザインを学んでいる大学院2年生です。
大学に入学して6年。デザインを学び始めて6年。
つまり6年分の作品があるという訳なんですね(震え)。
今日は、2018年〜2024年に制作した中から30作品をピックアップして振り返る、ということをやってみます。ポートフォリオにも載せてない拙い作品もたくさんあるので、どうか温かい目をご準備ください!

2018

大学に入学しました。この年の授業はまだ基礎で、さまざまな手法に触れることがメインの年でした。

自分の名前に含まれるアルファベットが刻まれた木材・金属・アクリル(透明・半透明)を描く課題。ピンクの「A」だけは、今見ても許せる可愛さ。
デッサン。下手だけど好きなんです。見てたらまたやりたくなってきた。
夏休みの宿題で作った灯籠。校舎の中庭で学年全員(約60人分)の灯籠の展示があり、台風の時期だったため風で倒れたら減点というルールがあった。だからレンガやワインの瓶でめちゃくちゃ重くした記憶がある。
ビーナスの頭の塑像。不思議なことに、人の顔を作っていると自分に似てくるらしい。
大学祭の実行委員で、POP(何故か写真がスクショしかなかった)を制作して学食のテーブルに置いてもらった。初めてソフトの使い方を教えてもらって、大学祭のパンフレットや看板のデザインをしていた。

このときは、「可愛い服を着て、可愛い作品作って、とにかく身の回りの世界を全部可愛いで埋め尽くしたい!」期でした。作品に無駄にちょうちょを入れたり、カラフルな作品を提出していたのを覚えています。

2019

ここら辺から、初めて「向き合う」ということを知りました。自分の好きなテーマから発進しつつも、客観的に考えて最適なデザインにしようという意識が芽生え始めます。

ショッピングセンターのカフェ店舗を提案する課題で、初めて自分でテーマから考えた。ケーキの鑑賞価値を押し出すために、選ぶための普通のショーケースではなく、鑑賞するためのドーム型のショーケースを提案してみた。
祭りのパンフレットを作るグループ課題で、島根県のホーランエンヤというお祭りのガイドブックを作った。私がのちにインターンをすることになる不動産会社は、この作品を見て声をかけてくれたらしい。
端材を加工して組み合わせて立体を作る授業。なんか可愛くできて気に入ってる。
大学祭のメインステージのデザインをさせてもらった。確か、大学祭のテーマが森みたいな感じでメインカラーが黒じゃないといけなかったので、夜の森をイメージして作った。
ボランティア系のサークルにも入っていたので、「おにぎりアクション」というキャンペーン促進のためのキャプションを作り、大学生協につけてもらった。オレンジに赤は見えづらいよって昔の自分に教えてあげたい…。

この時期は、バイトもサークルも2つ以上掛け持ちしながら授業の課題を出して、友達とも遊びに行って…みたいな生活で一杯一杯でした。

2020

忙しなくしていたところに、コロナがやってきました。飲食バイトのシフトはなくなり、サークルもなくなった。そこで、新しく工業デザインの授業を履修してみたら、実はこれが6年間でいちばんの転機となりました。
私が履修した工業デザインの授業では、手を動かす時間よりもアイディアやコンセプトについて深く考え議論する時間を多く設けてくれており、アイディアを褒められる機会が増えました。今までどの授業でもパッとせず燻っていた私は、少し自信が持てるようになりました。

「withコロナ」をテーマに考えた、パフェの宅配サブスクサービスとそのアプリUI。「パフェ」という自分の偏愛からアイディアを思いついた。講師が企業のサービスデザイナーで、この作品を本社の社員さんにプレゼンする機会をくださった、嬉しい思い出の作品。
単身高齢者向け見守りサービスの作品。高齢者が使っていて楽しいサービスにすることをひたすら考えて、アイディアが閃いたときスーパーでキャベツの品出しをしていたのを鮮明に覚えている。毎授業で決められるMVPを二回も貰えて、自信が持てるようになった。
自分だけの自分らしい名刺を作る課題。この宝石の裏面は自分の名前が書いてある。ネックレスからぴっと外して渡す仕草がかわいいな…と思って作った。個人の名刺作るときはこんな名刺にしたいと今でも思えるお気に入り。
初めて友達と出したコンペ作品。「印鑑の丸から徐々にUSBの四角になるプロダクトデザインで、電子印鑑への架け橋を表現する」というところにこだわって、議論が白熱した。

私は入学当初から、大学院に進学し1年の交換留学をする予定でしたが、コロナになってしまい「留学なんて無理かも…」と思い始めたのもこの時期でした。それなら就職するか、と思って就活を始めたところ、ポートフォリオに載せられるような作品が全くないことに気づき、かなり焦りました。

2021

就活に絶望した私は、当初の目標であった留学への希望をやっぱり捨てないことにしました。留学先の受け入れ通知がギリギリ届き、8月に無事大学早期卒業&大学院入学、9月に交換留学に出発することができました。

「デジタル自己紹介」という授業で作った「自分早見盤」。全然デジタルじゃないけど、星座早見盤のように回して使うもので、星型の枠に年齢を合わせるとその時の私の脳内星座が見られる仕様。
友達とのコンペ作品。いい光だけを取り入れる日焼け止めを製造していることから、日向ぼっこを思いついた。元々、インフルエンサーが白い肌のために日中は家にいることや日陰を歩くことを推奨していることに違和感を持っていて、自分の社会問題意識とも結びついた作品だった。
不動産屋さんでインターンをし、オフィスのクリエイティブや名刺、リノベーション事業のビラを作っていた。今思えば、受け身で何もできない私に仕事を教えてくださって、感謝しかない。
電動キックボードのコミュニケーションUI。グループで共同研究させてもらっていたものを、私だけで更に進めて卒業研究にさせていただいた。
留学はスコットランドのグラスゴー美術学校に行き、サービスデザインを学んだ。その様子を伝える新聞を作り、大学に留学レポートとして送ってた。

全く英語が話せない状況で留学に行ったので、先生が何言ってるのか全然わからないしグループワークは辛かったのですが、寮で毎週のようにパーティーがあり、幸いお友達もたくさんできて楽しい日々でした。

2022

グラスゴーからアメリカのオハイオ州に移り、シンシナティ大学でプロダクトデザインを学んでいました。この大学の先生らが本当に素敵でした。授業の先生は私の制作にFBする前に「このプロジェクトにワクワクしてますか?」と必ず聞き、インターン探しのメンターさんも私の進捗状況を聞く前に私の精神状況を聞いてくれました。最初は私が留学生だから心配されているんだと思っていましたが、誰に対してもそうしているのを見て、私もまず人として向き合う人でありたいと強く思うようになりました。

「マイボトルを楽しく継続できるサステナブルなカフェブランド」の提案の中で、ボトルのデザインをしていた時のスケッチ。プロダクトスケッチをちゃんと描くのも初めてだった。手を動かすことの繰り返しで、頭に浮かんでもいなかった形を見れることがおもしろい。
消毒用アルコールディスペンサーを、公共施設用の無機質なデザインから「家に置きたくなる」をコンセプトにリデザイン。今見たら全然プロダクトデザインになってないけど、初めて1から10までプロダクトデザインを教えてもらえて感動だった。

5月に日本に帰ってきて、そこから怒涛の就活と研究室生活になりました。権利関係でここに載せられるものがほぼないのですが、3社の企業と共同研究をし、ワークショップでドイツに行ったり、参加していたプロジェクトの商品がコンビニやスーパーに並ぶようになりました。

LINEのインターンで制作した、子供から遊びにいきたい場所を提案できるサービス。インターンは3週間みっちりプランを組んでくださっていて、すごくいい経験になった。

ここから、あまりの研究室の忙しさや就活のプレッシャーで、私はどんどん壊れていきました。研究室にいるときはアドレナリンが出て楽しくいられるのに、自宅に帰ると鬱状態、を繰り返していました。あまりにボロボロで、1人で研究室に行くことすらできなくなって、お父さんが車で送ってくれた日もありました。

大学行くのやだーってお母さんにこぼしたら「カバみたいに耳閉じて行けば?」と言われた。実際には鼻も閉じれるらしい。

2023

自分の部屋にこもり研究レポートを書いていた元日、研究室の先生から「頑張っているか?」と電話がかかってきた瞬間、私は涙が止まらなくなってしまいました。もう限界でした。
OGや先生方に相談し、私は研究室を移らせていただくことにしました。M2から研究室を移るというのは普通はあり得ないことなので、対応してくださった大学の方々に感謝してもしきれません。

一般社団法人公共とデザインの「産まみ(む)めも」というプロジェクトにインターンとして参加し、ワークショップのお手伝いと、展示制作に関わらせていただいた。これは産むことに対する問いともやもやをモビールにしたもの。(写真:白澤奈生子さん)
子供向けのおしゃべりAIのキャラクターとUIデザイン(開発途中)。リソース不足でプロジェクトは爆散してしまったけど、考えている時間楽しかった。
メキシコの建築学生とのランドスケープワークショップ。建築の知識がなさすぎてドローイングしかできなかったけど、最終プレゼンで先生に「ああいう絵の方がCGよりもぱっとコンセプトが伝わるんです」とコメントをいただけて嬉しかった。
友達が始めたサービスロゴとアイコンを作らせてもらった。大学のイベントカレンダーのようなサービスで、最初は人が集まるイメージのロゴを考えていたが、話を聞いてみたら、イベントの宣伝で団体側を応援したいという思いが強く感じられたため、メガホンのアイコンにした。
PLAYWORKSのインターンで、インクルーシブデザイン体験WSのグラレコをした。シナリオのない会話をまとめていくのが、設計図なく1つのかたちを作り上げていく感覚でおもしろい。
SEVEN DEXのインターンで、デザイン関連のメディア運営に携わり、UIのリデザインやバナー制作もした。「こんなに全員が前向きの組織があるんだ…!」と組織のポジティブさに感銘を受けた。

新しい出会いと経験は、乾いていたスポンジにどんどん水が吸収されるようでした。自分と作品の世界に閉じこもるより、未知なる何かへの好奇心によって突き動かされ、外へ外へと行動していました。

2024

修士論文で制作した「掃除する生命体」。ロボット掃除機を、完璧に掃除することを求める存在ではなく、共に掃除を進めるパートナーというように認識が変えてみるという試み。

ここまで書いてみていちばんに思ったことは、「こんなに多くのチャンスをもらってたんだ…!」ということです。たくさんの人が声をかけてくれたり支援をしてくれたおかげで、いろんなことを楽しめた6年間でした。
もし学生生活がもっと短かったら、もっと〇〇デザイナーを目指したり、わかりやすいスキルを手に入れたがったりしたと思うんです。でも私には時間があったから、どんなに小さなやりたいことも逃さず全部に向き合えた。やりたいことに今向き合わなかったら、やりたいこととの距離がどんどん離れていくだけだと、大学生活で学びました。
肩の力を抜いて焦らず、いい波が来たらすかさず乗ってみる。乗る時は全力で乗る。
そのために、いつでも波に乗れるよう準備しておく。
サーフィンみたいな私の6年間でした。

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