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落ち込む、という名の準備

 季節は夏から秋に変わっている。
 まだ暑い日は続いているけれど、日々は進んで行っている。日は短くなったし、9月も半ばを過ぎている。
 エアコンの温度調整が難しくて、消すと暑いのに、点けると28度でも肌寒かったりする。
 切り替わるということは通過。いくつも過ぎたはずの通過点。何の。何かの。じりじりするのはなぜ。いくらでも思い当たる節がある。タイミング。とっくに、もう通り過ぎてしまっているのかもしれない。この間違えている感。

 寒暖差、気温の変化のせいだろうか。放っておくと気持ちが落ち着かない。ともすれば落ち込んで、暗く、どこかへ、引きずり込まれてしまいそうな、もやがかった、焦り。いろいろ遅いから。遅かったから。窪む。巨大な穴の底で三角座りに膝を抱えている私。
 まただ、いつのまにか。

 哲学者のへーゲルは「自由とは意識がみずからの裡につくりだす現実のことだ」と言っています。
 停滞の間、手を動かすことで私が垣間見たものが自由だと思うと、とても嬉しくなりました。
 みなさんもこれは停滞できるチャンスだと思って自由を見つけ出してみてください。そう思うと、面白くなりませんか?窮屈さを退けるのは、そういう喜びや楽しさです。
 コツは適当になんでも思いついたことをやるってことです。うまくやろうとすると、飽きたとき、なんか悪い気がしますから。

『自分の薬をつくる』坂口恭平 2020.7晶文社


 落ち込む、ということは、「停滞できるチャンス」ということで、暗闇があるから創造性という光にたどり着ける。つくる、ということのためにはそういうプロセスはちゃんと必要だ、みたいなことを、坂口恭平さんが少し前に読んだ本で書いていた気がする。

 落ち込むということは、「つくれ!」という細胞レベルの自己存在からの叫び、なのかもしれない。


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