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「ついで」に、の利用法

 最近発覚したのは、私は「ついで」が大好きだということだった。

 今住んでいる街に越して三年目に突入し、やっと最近肩の力が抜けるように環境に慣れてきた流れで、無人ジムに通ってみようと決めて、ついでにタイミングよく募集していた会員費が割引になる清掃会員になった。応募した時には、自分がジムで運動した後に清掃をすれば会員費2000円もオフなんてめっちゃお得じゃん、とその値引きに惹かれていたのだが、それが思いがけず変化していった。
 清掃会員になると、普段から掃除好きだった私は、ジムの清掃でもきっちり綺麗にしたくなる気分になって、回数を重ねて慣れて来ると、今日はどこが汚れているかと行くたびに確認するのがちょっと楽しくなるようになっていった。
 それを更に越えると、そろそろあの辺りが汚くなるだろうから掃除しに行って、ついでに運動もしちゃおうということになる。主に行なっていたことが、逆転した。そうなると、週に三回運動のためにジムに訪れていたところから、清掃のためも加えて五、六回になり、掃除するなら朝早めの利用者が少ない時間帯に行くようにしよう、と行く時間を調整すると、なんとほぼ毎日の朝活習慣が出来上がってしまった。
 こんなことにするつもりなかったのに…と嬉しい呆れ笑いが出た。つい一年前くらいまでは昼夜逆転生活をしてた人間が、今じゃ十キロランニングが余裕でできるような体に変わり、感じていた体のコリも全然感じなくなって、めきめきと筋肉質になって、痩せた。驚いた夫からは「この調子ならハーフマラソンできる日も近いな」と期待の言葉も寄せられた。

 「ついで」の威力を強く感じるのは、ついでのことをやらずに、単体で、例えば「朝活習慣をつけよう!」とか「十キロ走れるようになろう!」という目標だけでは確実に実現性が落ちる点だと思う。というかそもそも、少し痩せたいくらいの願望だけでジムに入ったのだけれど、メインでやることに向かわせる気持ちを、「ついで」が強く後押ししてくれることがわかった。メインでもし満足感が得られなくたって、「ついで」のことができたのだから良しとしよう、という保険的な要素もある。

 せっかくこの仕組みを知ったからには、苦手なこととか面倒なことなどに取り組むときには惜しみなく利用していこうと思う。これは自分的に大発見かもしれない。



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