見出し画像

今日は2022/10/12の日記「めんどくさいタイプの原作厨」

・こんにちは、めんどくさいタイプの原作厨です。進撃の巨人のときもお世話になっています。

・チェンソーマンアニメ化の第一話、観た? なんかめちゃくちゃ「そうじゃなくない?」って思わなかった? 私だけか?

・まずなんとなく思ったのは、チェンソーマンで「エモさ」を売りにすんなよということだった。映画的な照明、画角、陰影、音響、そしてなにより映画的な導入。このスピード感で一週間空けたら、それは映画を分割して観てるのと同じなんだよな。「じゃあ映画にしろよ」って思うし、

・チェンソーマンって、言うならば「いけいけいけ!!殺せ殺せ!!バキューンバキューン  ギュインギュイイン!! 死んだ死んだ死んだ死んだ!!!」っていう作品じゃないですか。その割に戦闘シーンはもったりして、思いのほかねちねち殺し合ってるから、原作のページをめくる手がどんどん速くなっていっちゃうような、あの疾走感がまったく得られなかった。

・そしてこの「エモさ」売りには原因があると思っていて、これってさ、“原作がめちゃくちゃ売れてるから”でしょ。

・もうすでに原作を読んでて、キャラ一人一人に愛着があって、物語のワンシーンワンシーンに思い入れのある人たちが観たら、それはエモいよ、なんだってそうだ。ああデンジくん可哀想だね、こんなこともあったねって、親心で観られるのって原作読んでる人だけじゃん。

・なんでみんながみんな内容とアニメ作品としての評価じゃなくて、オープニングに散りばめられたオマージュを発見することに血眼を注いでいるのかといえば、誰もアニメなんか観てねえからなんじゃないんですか?

・そういう人たちに売るために、オープニングを米津玄師にして、ギターに常田大希呼んで、エンディングの制作アーティストを無数に増やしたの? そう言うなら、まあそれはそうだろうなと納得がいく。アニメの傑作は、別にオープニングとエンディングがダサくても傑作のままだのに。

・原作読者の「体験」だけを向上させるために、作品そのものではなく作品の周囲にお金を掛けて、それがアニメ化として「最高」なの? なにか大事なことを見誤ってないか。

・好きな作品のなにが好きか、本気でその本質を考えたら、アニメチェンソーマンの1話は別にまったく「最高」ではなかった。

・キャラクターの台詞の内容に注目せずに、ただそれを言わせるだけのシーンが、私は進撃の巨人を観てるときにも不服だったけど、チェンソーマンもそうなるんですか? だったらまた一期だけWITに任せたらいいんじゃないんですか!?(暴言)それかufotableに譲ったほうがいい。

・私は、とにかく、高級感を信奉したくはないし、安っぽくても価値があったほうが絶対にいい。「映画的」と評したのはそれですよ。どのみち映像と音楽で内容を二の次にするなら、もういっそ新海誠くらい尖ってほしい。

・そしたら私はこんな批判的な記事を上げてしまったので隠居します。ありがとうございました!

ここから先は

0字

毎日の日記と、一ヶ月に二点ほど評論などが読めるようにします。

深淵 応援コース

¥348 / 月 初月無料

深淵・基本コースとほとんど内容は変わりません。たまにプラスのことができたらいいけど、お約束はできないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?