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今日は2022/6/24の日記「無についての思索」

「あるものはあるのです」
「存在なしでないはない」

・どっちも私が小説に書いた文章ですね。あとは「存在しない過去はない」とか。昨日の応援コース限定の記事でも「無があると有が前提となる」とか言っているので、私にとってはこの「無い」ということがひとつの大きな思索の対象となっていることが分かります。

・素人ですが、論理学的に「無い」を表すと、「-p」(Pバー)です。では存在はというと「P」ですね。Pは独立して有ることが可能ですが、「-」(バー)だけはそれだけで有ることができません。

・否定は記号であるということです。有ることがそもそもなければ、バーを置く位置がない。いま「置く位置がない」と書きましたが、まさにこの「ない」が記号で「置く位置」は本来存在しうるものです。

・「存在なしで・ないは・ない」というのは、もう三重の否定を行っています。存在バー、バー、バー。否定に否定を重ねると肯定になりますが、肯定になったそれにさらに否定を重ねると否定になるので、三重否定は否定です。私たちが「否」とか「非」とか「無」とかを使うとき、そこにはなにか存在がくっつきますよね。否定、非常、無力。だから私たちは無それ自体を論じることはできないわけです。私たちに身近なものでいうと「不眠」か。

・私はこの事実を実に感情的な部分で直感してきました。というのも、「優しくない」とか「親切でない」という評価を他者から受けるときが、生きているとままありますね。しかしこれほど破綻した評価もない。

・優しさとか親切さというのは個々人の中にある特殊な尺度であり、それを他人に当てはめようとすると、当てはめた相手にそもそも「優しさがある」と前提することになってしまう。だがそもそもその相手の中に、その「優しさ」が無かったとしたら? 「存在なしでないはない」から評価として誤りです。

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