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今日は5/22の日記「濡れ野良猫に、逃げられる」


「ええっ、こんな難しい本読んでるのお? すごいんだねえ」と周りの大人に言われて悦に浸る子供だったので、意味も分からず小難しい本を読んでいたから、いわゆる古典作品の有名どころというのは小中学生の頃に読み切ってしまっていた気がする。

だがやはりいま読み返してみると全然まったく印象に残っていないので、やはり意味は分かっていなかったのだろう。ただ活字を追うのが楽しくて、知らない言葉を知るのが楽しかっただけである。

大宰もカフカも読んでいたはずだし、江戸川乱歩なんか全部読んでいたが、大人になってから読むとまるで、びっくりするくらい印象が違う。とくに中短編なんかは読みやすいぶん手に取っていたはすだけれど、うん、覚えてないし、分かってなかったんだろう。

意味を分かって読んでいた本は、ギリシャ神話とかだった気がする。なんでこれだけ分かってたのか分からない。あとは当時そこそこ流行していた「グースバンプス」というシリーズで、いわゆる児童向けのホラー小説だった。これは児童向けと侮るとかなりバチが当たるくらいおもしろくて、なんかで貰った図書カードはぜんぶこのシリーズに注ぎ込んでいた。

まあ大人の読者諸兄は読まないと思うのでネタバレをすると、たとえば主人公の女の子の隣に少し怪しい男の子が引っ越してくる、という話があるんだけれども、やっぱりどうも怪しいと思って見ていると、どうだ、彼は幽霊じゃないか。という疑惑が持ち上がる。と思いきや自分が死んでいるのだった、という叙述トリックとかがばっちり決まっていたり、鏡の中に入る遊びを繰り返していたら現実が徐々に狂っていく、とかそわそわするお話もあった。

ところが意外とふんわり終わって心温まったりするので、子供心にはかなり楽しい小説だった。というか、大人向けに書かれるような小説の技法が、きちんと児童向けの文章とかに再構成されて届けられていたんだろうな、というのをいまになって感じる。

私がそれ以降ホラー小説にはまるかというとそうでもなく、小学校も高学年になると「都会のトム&ソーヤシリーズ」とかの冒険譚とかを読むようになったし、中学生になると急にミステリにハマり始めた。とはいっても本格ミステリと呼ばれるものは一切読まず、普段から言っているのでご存知の方も多いかと思うけれど、米澤穂信にどハマりして、日常の謎ミステリにどっぷり浸かり出すわけである。

私はここで「ああ、ミステリが好きなんだな」と思って色んなミステリ小説を買い漁るようになったが、これがなんでか全然しっくり来なくて、結果として携帯小説を読むようになった。魔法のiらんどとか、エブリスタとか、その辺である。

もうここら辺の文章は二度と読めない気がする。という感じの恋愛携帯小説を読み漁っていて、文章の形としては本棚にある本よりずっと稚拙なのに、すごいどきどきしながら読んでいた記憶がある。まあどちらかというと、布団に潜って隠れて携帯を触ってるあの暗い空間が好きだっただけかもしれない面もあるが、私の読書青春を彩った媒体であるのはたしかだった。

そして最終的に分かったのは、私は米澤穂信の書くミステリが好きなんじゃなくて、そこに関わる主人公たちのぎこちない心情が好きなんだ、ということだった。彼はミステリ作家でありながら、青春作家とも呼ばれるだけある。私が「好きな小説」と聞かれて真っ先に挙げるのはいつも『さよなら妖精』だけれども、これはまさにその金字塔だと思う。

そして中学生を終える頃に、はじめて自分にも小説を書く権利があることを知った。

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