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母ではなく親になりたい。

保険の授業、Twitter上、親と話しているとき。

結婚と妊娠の話はどうしても、どこに行っても付き纏う。


結婚したく無いわけではない。

性別問わず信頼できるパートナーと一生過ごせる。というのはとてもいいものだと思うから。

しかし妊娠は話が別だ。

女性を強いられる。体が作り変わる。

それに約10ヶ月、もしくは子供が成人するまで。
自分は耐え切れるのだろうか。


最近性自認の揺れが大きくなっている気がする。

自分が大人になったときどうなるかまだわからないが、まぁ本質は変わらないだろう。

妊娠が怖い。出産が怖い。

母になりたくない。


 



なら子供なんて産まなければいい。
そう思うだろう。


ただ自分は親になりたくないわけではないのだ。

辛いのはわかってる。お金がかかるのもわかってる。

でも人が1人、立派に育つまでのその軌跡を見れるのはどんなに嬉しいだろうか。

人が1人、赤子から成長するその奇跡を見れるのはどんなに感動するだろうか。

私が辛かった時、1番救われたのは親からの言葉だった。

いまだに覚えてる、小学生の頃言われてイラついた言葉がある。

自分が親に相談できずに困ったからこそ。

自分が親になりたい。そう思った。



小さいころから子供が好きだった。

教えることが好きだった。

甘やかすことが好きだった。

親になることは夢なんかじゃなかった。

決定事項で疑うことでもなかった。

当たり前のように子供を持つものだと思っていた。

でも最近、世の中の妊娠、出産に関することを知って。自分自身の性自認を自覚して。

その小さな頃から描いていた未来図を思い返してみると、そこに子供の姿はあれもど、“夫”の姿はなかった。

小さな頃には考えもしなかった、妊娠に至るまでの経緯を考えてみるととてもこわかった。



じゃあ自分の体を使わないで子供を得ればいい?

代理母出産もある。親のいない子を引き取る手段もある。

それでいいのではないか?

そう思っていた時期もあった。

でももしその手段を自分本位で選んだとして。

子供はどう思うだろう?

周りはどう思うだろう?

現代社会は間違いなく批判するだろう。

それで子供が苦しんだらどうする?

それで子供がいじめられたらどうする?

なら子供なんてうまず、一生を終えればいいのではないか?

それが1番いい手なのではないか?




だが周りはそれを許してくれない。

母方のいとこは私以外全員成人してるし子供を持っている。

1人離婚している人がいて、その家の子が可哀想だと周りから言われているのを知っている。

父方の祖父母からすると私しか孫がいない。

ひ孫が見れるまで生きよう。と話していたのを聞いた。

そして我が家。

私は1人っ子。孫を見せられるのは1人だけ。

結婚したあとの話なんて何度もした。

「別に無理して結婚しろとも子供を産めとも言わないが結婚してくれた方が嬉しいしお前には母親を経験してほしい。」

そうずっと言われてきた。

確かに強制されてる訳ではない。

親がお節介すぎるわけでもない。

ただ無言の圧力は、

言葉うちに秘められた思いは、

どうしたって見過ごせない。


セクシュアリティの違和感なんて無視して結婚して子供を産んだ方がいいのだろうか。

何度も考えた。

その度堂々巡りだった。

誰が悪いわけでもない。

イライラをぶつけたくても悪役はいない。

わかってる。我がままなのは、理不尽なのは、
自分なんだろう。

飲み込めばいいんだろう。

まだ高校生。

大人になったらわからない。

でも本当にそうだろうか。

今もわからない。

いつわかるかもわからない。

多分ずっと悩むんだろう。







この悩みを解決してくれるのは

親が友達か友人か。

パートナーの可能性もあれば赤の他人、誰の力も借りず自分で解決する可能性もある。


でも多分何を選んでも後悔するだろう

ならいっそ。

そうは思えどじゃあ何をするの?それはわからない。

「まだ若いんだから。」

じゃあいつまで悩んでいいんだろう。

「もう若くないんだから。」

そのセリフに変わるのはいつだろう。

その時、

自分はどの選択をするのだろうか。

まだ答えが見つけられなくて、曖昧に笑う自分がみえた気がした。







さて未来の自分へ。

この予想は当たってるでしょうか。




当たってたら笑ってやる。

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