『いいこ』でいなければいけないという呪い
『いいこ』という言葉と、子供の褒め方について考えました。自分の子供時代を振り返りつつまとめておきたいと思います。
私と祖母
小学生の時、たまたま本を読んでいたら祖母が『本が好きなんだね』と言いました。
私は何も答えませんでした。
私は別に本を読むのが好きな訳ではありません。マンガは好きだけど、活字は少し気が重いです。
でも祖母はそれから、時々本を買ってくるようになりました。
『本、好きでしょ?』って。
私は、買ってもらったからには読まないといけないと思い、必死に読みました。
ここで、『おばあちゃん、私は本好きじゃないよ。お菓子の方が嬉しいよ。』と言えれば良かったのに、言えませんでした。
なぜか祖母の望む『いいこ』に必死でなろうとしていました。
その後も『優等生でいなければいけない』という脅迫観念のようなものは、大人になった今でも私の精神にこびりついています。
では、いつからそう思うようになったのでしょうか?
なぜ『いいこにならなきゃ』と思い始めたのでしょうか?
記憶をずーっと遡ってみると、自分なりの結論にたどり着きました。
幼少期、同居していた祖母は私を『いいこだね』といって褒めていたのです。
『お片付けして!…そう、いいこだね。』
『静かにして!…そう、いいこだね。』
というように、言うことを聞いたら『いいこだね』と褒めていたのです。
これを毎日繰り返すことで、私は『言うことを聞いたら褒められる』『いいこでいなきゃいけない』と思うようになっていったのです。
『いいこ』とは?
『いいこ』=『親にとって都合の良い子』?
そうじゃないはずです。
うーん…。
私が思うに、かわいいこ、の『いいこ』かな?
息子には、私のようにプレッシャーを感じてほしくないので、子供を褒めるときは、『いいこ』じゃなくて、『優しい子だね』などと具体的に褒めることを意識したいです。
やってほしいことがある時はお願いして、お願いを聞いてくれたらありがとうと言おうと思います。
総括
子供が生まれるまでは、『いいこ』というのは褒め言葉だし良いことだと思っていました。
でも子供が生まれて、ふと、そうかな?と疑問を感じました。
そして自分の幼少期を振り返ってみると、『いいこ』でいなければいけないという呪いにかかっていたことが分かりました。
本当に、子供のおかげで勉強になるなと、ありがたくも気の引き締まる思いでした。
子供と向き合うって大変だし難しいけど、ひとつひとつ考えて、小さなことから気をつけていきたいです。