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今の記憶を記録するということ

自分のための文章をすっかり書かなくなってしまった。それはただ「忙しいから」という言葉で簡単に置き換えられるけれど、おそらくそれ以外にも要因はあると思う。

この一年で、私の環境も、私のまわりの人たちの環境も大きく変わった。時折、私にとって2021年とはなんだったんだろう、と思うことがある。2021年は必死に仕事をしながら、でも岡山で青春の時間を過ごしていたような気がする。30代になってから大学生の頃のような時間を過ごせるとは思っていなかったので、あの日々は本当に感謝だ。

昨年の秋も終わりに近づく頃から福岡に家を借りて、二拠点生活を始めた。
最初は「福岡という土地に馴染めるかな」「友達いないけど大丈夫かな」と不安が大きかったが、少しずつ馴染めてきて、今では岡山に移動する際に福岡を離れるのが寂しくなっている。

福岡にいる日々も書き留めていきたいと思いつつ、結局インスタグラムのストーリーズ機能に頼っているところがある。忙しい日々にあの機能は本当に便利だとつくづく思う。

少しずつ、自分のために文章を書いていこう。自分のために書いた文章が、いつか巡り巡って未来の自分を助けることになるかもしれないし、もしかしたら誰かの何かにつながるのかもしれない(おこがましいけど)。それに今の自分にとっても思考の整理や記録として役立つのかもしれない。

2021年のあの時間のことを文章に残せばよかったな、と思うこともある。でもそれも、思い出しながら書いたっていい。ここでは、自分の思うように綴ればいいんだ。

「記録」を残す意味について考える機会が増えた。
なぜ人は記録を残すんだろう。まだ自分なりに答えは出ていないけど、人は記憶をいつまでも保持できないのだと思う。すべてを忘れるわけではないけど、すべてを覚えておくこともできない。年を重ねていくうちに記憶は少しずつ薄れていく。いいことも悪いことも、どんなに辛かったことも。忘れたいことだってある。

記録に残しておけば、それを目にしたときにブワァッと記憶がよみがえる。目にするものだけではなく、耳にするものもそうだし、匂いや味もそうだ。

一年以上前に書いた自分の文章を久しぶりに読み返してみたら、当時の自分の心境や想い、心の揺れ動きを思い出した。あの時はこんなことを思っていたんだなあと、当時の自分を抱きしめたくなった。

また、自分のための執筆を再開しよう。毎日じゃなくていい。書きたいときに残したい言葉や記憶を。

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