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タイタニックという鏡

25周年記念上映の最終日に、タイタニックを観た。

冒頭の楽しそうなシーンは少し眠く、苦味が混ざってきた途端目が冴えた。
字幕を追わなければいけないが3Dだと初めは目が慣れなかったことも、最近あまり夜寝られないということも、要因の一つではあったと思うが、何より私がそういう人間だという証拠に感じた。

そんな私でも、この壮大で美しいが苦しい物語に心動かされ涙した、というだけの感想を抱くには少し重たすぎる時間だったように思う。

私はタイタニックを初めて観た時、明日も生きよう、まずは生きよう、と思った。

同じように思いたくて今回劇場に行ったことを反省している。
劇場で真正面から観るならば、心の調子を真っ直ぐに写す作品だということを身に染みた。

同じ感想は抱けなかった。
悲しくて泣いたけど、あの劇場にいる3時間半は夢みたいだったけど、ただ、消化できないでいる。


でも一つ。
私の隣は、上映前に落ち着かない様子でイライラしている様にすら見え、きっとタイタニックも何度も観たんだろうなという映画通の雰囲気のある周りに少し緊張感を与えるおじさんだった。 

終わった瞬間、隣から聞こえたのは、3D凄いなぁ!と一緒に来ていた奥様に嬉しそうに話しかけてらっしゃる声だった。

さすが名作だと思った。
その様子が嬉しくて、私は席を立つことができた。


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