私が お月見泥棒 だった頃

全国区だと思っていた「お月見泥棒」が地域の風習だと知ったのはいつだっただろう。気付いたら参加していて楽しくて大好きな一日だった。簡単に説明すると、中秋の名月にこどもたちがお菓子をもらえる日で、月からの使者と考えられていたこどもはお月見のお供え物をこの日に限って盗んでいいというものが始まりだそう。友人宅は勿論「お月見泥棒やってます」と掲げてあれば知らない人の家にも『おつきみどろぼうでーす!』と元気に訪ねていた。私が生まれ育った地域はこどもの人数が少なかったからか、皆んな仲が良かった。その中でも特に仲の良い友達と放課後に集まって、道中で友達とすれ違って喋って、たくさん歩いてたくさんお菓子をもらって、たくさん笑う日だった。あの頃は間違いなく私たちが主役だった。

(地元にいた頃は明朗快活な人間で引越してから暗くなったので、環境は大事だとすごく思う)

今は危ないから知らない人の家は禁止となっているのだろうか。そもそも続いているだろうか。終わっていたら少し寂しい。知らないこどもたちのために沢山のお菓子を用意してくれていたあのおばあちゃんは、今も元気だろうか。もしかすると知り合いではないだけで「知らないこどもたち」ではなく、いつも見守ってくれていたのだろうか。

今ならわかる。こどもたちにとってはただただ楽しい日でも大人にとってはただただ大変な日だ。大量のお菓子を用意して、こどもたちが来るたびに手を止めてお菓子を渡して。母は残っても良いように私の好きなお菓子を買ってくれていた。ありがたいなと思う。でも、続いていくといいなとも思う。上京してきてお隣さんや地域の方との交流は全くなくなってしまったけれど、いつかまた、今度は「お月見泥棒"だった人"」として中秋の名月を迎えられたらと思う。