見出し画像

プロフィール その後と本音

先日は、熱のこもった決意表明をあげてしまいました。

たくさんの方にいいね!や愛あるコメントをいただきました
(インスタ・facebookにおいて...ですが)

それはとても嬉しく繋がりを感じるもので
わたしについて、より知っていただけた面もありました

そして自分のなかでも覚悟がきまり
綴りたい言葉や情景が
いままでよりたくさん浮かんでくるようになりました

今回の宣言の発端は、やはりアーティストとして
創作活動、社会的アート活動をしている方との
会話の中から、
わたしだって物を作っていなくても
アーティストの気概をもって生きているんだ
という気持ちがむくむく頭をもたげ、
それまでも自分のうちでは意識していましたが
公に宣言することで
自分もそのつもりで生きていく、
生き方とはどういうことかを自ら考え、
同じような気持ちでいる方や
世の人々にも考えるきっかけになったらいいかな
という想いで発信しました

後日、別の作家活動をされてる方が
(その方の作品は、服、アクセサリー、オブジェなど
独特のもので、さらに歌を歌うというライブまでされていました)

何をしている人かよくわからない、とよく言われるけれど
私は仕事をしていませんし、肩書きもありません、
私には必要のないことです
ただ魂が喜ぶことをしているだけです

というようなことを書かれているのを見て

これこそが私が理想とする生き方だ

と思いました

そのことを前出のアーティストさんとの話の中で
振り返って伝えると

でもこれでは、自分の生き方に責任を持っていない

との見解を示しました

たしかにこの作家さんは、ご自身の作品の売り上げもあるけれど
旦那さん(画家)がいて、その収入があれば
好きなものを作っているだけで
ご自身の作品が売れなくても暮らしてゆかれるのかもしれません

肩書きに対して責任をもつとはどういうことなのか
今一度考えてみました
これを話しているアーティストの彼も
作品の売り上げでは暮らしてゆけず
別の仕事もしています
でも精神の自由と、いつかは
アーティストとして立っていくという気概のもと
何十年も生きていました
その気概が彼を彼たらしめているのかもしれません

気概とか責任とか
ちょっと旧時代的な感じもしますが...

ではわたしはどう生きたいのか、です
(ここではそれが一番大切です)

わたしも、このご時世で以前の職を失い
(というかちょうど時期を同じくして
自分の店を始めたので、前職は自然消滅しました)
自分の必要な分は自分で稼がなくてはなりません
たぶんお勤めという働き方が
一番効率よいのだと思います
けれどもうどうしようもない、となるまでは
一人で好きなことをして
まわりの人たちと繋がってゆく生き方を選んでいます

責任感とかではなく
どこまでゆけるかわからないけど
今はこれでやっていこう
みたいな
ワクワクした気持ちが強いです

あゆみはゆっくりですが
少しずつ世界はひらけています

仕事も肩書きもないです
好きなことをしてるだけです

なんて言えたらかっこいいなと思いつつ
そんなことを言うまでもなく
あれこれやってみるまでです

何をやっている人?と聞かれたら
正直アーティストと答えるより
今は

植物をつかった菜果料理
自然からいただいたもので美しいものをつくる
そして
魂の探求・表現
綴り人
なーんて感じかなって思います(てれ)
(↑まだ照れが入ります)

怠惰といわれようと
甘えと言われようと
正直な気持ちを書き表わせることも
自分にとっては心地よいな
と感じます

綴った言葉も
どんどん発表していきます

今後ともどうぞよろしくお願いします




ピピっときたらサポートよろしくお願いします。私は内面から湧き上がってきたものを余すことなく言葉で紡ぎ、自分をさらけ出すことで、世界は美しい波動で満たされると信じて活動しています。サポートは栄養となり励みになり、ますます創作意欲が湧いてきます。いつもありがとうございます。