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実際に行って感じたデンマークの教育に対する価値観と制度


デンマークの高い幸福度には、「教育」が深く関わっているんじゃないかと気づき、可能性に種をまいてから約1年が経つ。


約半年前にデンマークに入国し、デンマークの学校でさまざまなデンマークの教育制度を学んだ。

また、デンマーク独自の学校や公立校など
計5校6クラスの見学もさせてもらい
制度やシステムなどのハードな面だけでなく
実際のヒトとヒト間での関わり合いから感じるソフトな面までできるだけリアルな状況を学び、少しずつ根を張ってきた。


国際教育デー(international day of education)

1月24日は国連が定めた国際教育デーらしい。

「へ〜そんな日があるんや」と思って調べてみると2018年に制定されてるから結構新しいようで
「なんのための日やろー?」と思って調べてみると「教育の重要性を世界にアピールする目的」らしい。

読み進めてみると
世界のさまざまな社会問題(紛争や貧困、男女格差など)を背景に、教育を受けられない子どもたちの平等であるべき権利を主張し、目指しているものだということがわかった。


各国さまざまな問題はあるだろうけど、
子どもたちが平等に教育を受ける権利があることは
その国の、地球人としての未来への投資だと思う。
それを無くして、より良い社会への希望は薄れる。

私のため息の原因になったトップ3

教育大国:北欧デンマークで実際に見聞きしたことは「なるほど、、、さすがだなぁ。」と
感嘆のため息が出てしまうほどだった。
私のため息の原因になったトップ3を話したい。

「一人ひとりそれぞれ」

まず最も感じたことは「一人ひとりそれぞれ」の
個性を大切にする制度と考え方。

デンマークは小中一貫とし、上下に2年プラスした0年生から10年生という期間がある。
0年生とは小学校に入る前の準備期間とし、
社会性や集中力、言語学習に少しずつ時間をかけて触れるための場がある。
10年生とは日本でいう中学を卒業したあと、
復習をしたり、社会性を身につけるための学校に行ったり、いわばギャップイヤーみたいな期間。

だけど、0年生と10年生は任意で、0年生を2年間する子もいれば、10年生を過ぎても数年ギャップイヤーをとる子だっている。
だから1つの教室に、同じ学年として共にいたとしても年齢の幅は広く、それに対して優劣を感じるという感覚さえないらしい。

「一人ひとりそれぞれ」のペースに合わせて進級する概念が当たり前にある。


例えば、ある小学5年生のクラスにお邪魔したとき
朝の読書の時間にパソコンと向かい合い、ヘッドフォンをしている生徒がいた。
先生に聞くと「彼は読み書きが少し苦手だから、音声で話を読んでるんだ」って言ってた。
率直に、ありなんだ、、。と思うけど、ありらしい。
正直、読ませた方がいいんじゃない?と思う節もあるけれど、それはそれで「一人ひとりそれぞれ」の考え方が根付いてるからだろう。

0年生の教室を見た時や幼稚園の話を聞いた時も、
生徒が座る椅子や座布団は2、3種類あって「一人ひとりそれぞれ」の集中力や特性によって合わせられていた。

「一人ひとりそれぞれ」の価値観と社会的理解があることは、人と比べることなく、自己肯定感を維持できるんだろうなと感じた。


「レールがない」

次に、デンマークの教育システムや進路の豊富さから、人生の「レール」ってものがあまりないように感じる。
あったとしても義務教育の期間だけで、
そのあとはギャップイヤーだったり、
デンマーク独自の民主主事学校だったり、
職業専門学校だったり、Gymnasticと言われる高校であったり、本当にバラバラ。
ギャップイヤーを取らないなんでありえない!と驚くデンマークの友達もいて、
小・中・高・大を綺麗にストレートで卒業しましたって方が珍しいんじゃないかな。


それもまた「一人ひとりそれぞれ」の概念とつながるものかもしれない。
レールがないことによって、
「自分が将来何になり、どう生きたいか」を
真剣に、”自分自身で考える”ことになる。

とてもとても大事なことだと思う。

「漏れなく全員が」


最後に、「漏れなく全員が」
要するに平等に教育を受けられるようなシステムが、デンマークにはあるように思う。
もちろん”全国民がしっかりとした教育”を受けられているかは断定しがたい上に、人によって様々な意見はあると思うが、国や自治体はその努力をしているのではないかと感じる。

例えば、
・公立校の教育費無料
・10代の4年間は学校外での言語や芸術、スポーツなどの習い事無料
・社会人になった後に再度教育を受ける際の生活補助
・公立校をドロップアウトした後の居場所作り(フリースコーレという少人数公私立校等)
・ホームスクールへの社会的理解と支援(心身的な状況が理由の場合は金銭的支援あり)
など、ハード面から感じることができる。


また考え方からも「漏れなく全員が」精神を感じたエピソードがある。

0年生の授業の見学に行った際、「宿題はあるのか」という先生にかけた質問に
「宿題はないよ。勉強は学校で終わらせる。
子どもたちはさまざまな親の元で暮らしているけど、どんな家庭状況の子どもであっても平等に学習時間があって、勉強についていけるように、その役目を学校が果たしている。」
と言っていた。


いつか母国で



これらの3点は完全に私主観で感じたことであり、
この3点があることがいいと断言できるわけでもなければ、
この3点が確実に機能しているかは不透明な部分はあるだろう。
さまざまな制度の元には、それによって起こるいい面も悪い面も常に表裏一体だと思う。


それでも、「より良い社会」のための「よりよい教育」を目指している制度や考え方は見習うべきことが多いように感じる。

まだまだ水を与えてもらっている最中、だけどしっかり吸収できてる気はする。
あ、だけど冬のデンマークではもう少し太陽が必要かなぁ。
いつか母国である日本で、
花を咲かせられたらいいなぁ

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