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書きたい気持ちはあれどnoteの方向性に迷っていた話。 /Tag 217

1年だけのワーホリ生活、記録をつけよう

そう思って始めたnoteだった。

あっという間、流れていくであろう日々。
10代よりも20代よりも遥かに早く流れると噂の30代の1年。

だが、いざnoteを始めてみると、思いの外、書けない事実にぶち当たった。


海外生活のままならない日々、毎日何かにぶち当たる、面白いことや文化の違い体験、ネタは数あれど、書けない。

なぜだろう。

さらに思ったよりも、非アクティブな生活。
インドア最高なのである。

色んな国に住んでいる人の海外生活の苦悩の日々、奮闘記、面白い出来事、それらを読んでただ楽しんでnoteをこっそり閉じる日々。

自分も感化され書きたいような、でも言葉が出てこない。


いくつか書き方の本も読んでみた。
ふむとは思うものの、具体的なものは少なかったように思う。

結論、何でもいいから書いてみよう。
というものが多かった。
確かに。書かないことには始まらない。

読了感に満足し、行動には至らなかった。


学生の頃は書くことがすきだった。
国語の点数だけがダントツによかった。
クラスのお楽しみ会の脚本も書いた。
高校入試も作文で受かった。


最近は「Giveする=与えること」が世間的トレンドであるためか、以前よりもHow To 的なnoteが多く、実際自分も読むものの3分の1はその部類のもので参考にさせてもらっているが、いつの間にかそんな世間的圧も無意識に刷り込まれていたのかもしれない。

誰も私のnoteにHow To を求めていないのはわかっている。

自分が勝手に思う、己の無益さ。
かと言って読み物としての面白さもなき。


と思っていたが、
それは自分が決めることではないのかもしれない。


読むも読まないも自由なのだから。


すこしでも有益なものを、人の時間をいただいて読んでもらっている以上は提供したいという気持ちはあるものの…

高尚ものを書けるほどの学も自信もない。

今後は、気持ちだけ持ちつつ、提供することはすっぱりと諦めようとおもう。

ただの一般人、無職なのだから。

そうだった、ただの無職なのだ。

ニート!

人様に何かを与えたいなどと、おこがましいにもほどがある気がする。
この思い上がりめ...!!

海外在住、1年生。
英語力は2歳半(成長なし、むしろ退化)
ドイツ語力は生後6ヶ月。(とはいえ間に冬眠していたので、3ヶ月あればいい方)
Ja,nein 意思表示がはっきりできるようになったくらい。

数々の経験をしてこられた諸先輩方の足元にも及ぶわけがない。


ということで、
変な方向に開き直ってしまった気がするが、
それはそれでよしと、書いていこうと思う。

・・・結局書くのか。

(自らツッコむ)


無益なnote


それでも中にはお付き合いくださる方がいらっしゃることに心からの感謝を。



と、ポーランドに向かう電車の中で、突然腑に落ち、勝手に納得し言葉にした8月17日。


チェコを横断した



渡航から、7ヶ月と3日が経った。


今日も無益note.

最後に少しだけ無益の中に情報を。

ウィーンからポーランドに向かう車窓は大変のどかです。

Danke schön !

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