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自分を育て直すということ

育った環境で、自分の基盤ができている。
私はまじめで、いい子で、気が利いた。
大人びていて、物わかりが良く、扱いやすかった。

絶えず飛んでくる叱責に身構えながら
私のために浴びせられる怒声が少しでも減るように
親の期待する行動を取らないと、いけなかった。

親の期待値と、世間の大人の期待値は雲泥の差だった。
世間で褒められて帰ると、調子に乗るなといつもの基準で叱られた。
厳しい指摘は、嗜好まで踏みにじった。

紫のファンシーなポーチを初めてえらんだ。
「はあ。あんたはそういうのが好きなんだ。」
服屋に行けば服を2着並べてどっちを買うか聞かれる。どっちを選んでも失敗するとわかっていて選べない。
「ぐずぐずして自分の好きなものもわからないのか!」
そんなやつに買う服はない。と言いながらも、選ぶまで開放されず、選んだら散々に貶される。あの時間は何だったんだろう。

大人になっても「いい子」だった。
相手の顔色を常に伺っているので気が利いて、
意見をする自我もないので一歩下がってにこにこと。

早めに結婚して家を出た。
彼の家を訪ねて、わーわー言い合いする親子を初めて見た。
こんなこと言ったら私は張っ倒され、家に入れてもらえないだろう。
そんな会話が頻繁に聞こえて、「ああ、うちはおかしかったんだ」と気付いた。

そんな家庭で育った彼は、相手の顔色を伺うことはしないし、言外に非難することもない。そう、なかったのだ。
それに思い至るまでに、結婚してから、10年以上かかった。

親の「ふーん」は、失望であり、貶めであり、諦めを滴らせた。
彼の「ふーん」は、正しい無関心であり、私の思考に対する尊重だ。

そう、それは尊重なんだ。
もちろん、彼にとってはそれは当たり前で、無意識のことだろう。
それでも、私にとっては、あまりにも眩しく、有り難いものだった。

どんなに優れた性質の種でも、土が、水が、適した環境を構成できなければ。その種は枯れてしまう。
枯れずに生き延びただけでも、よくやったと自分を褒めるべきだろう。

環境によって作られた過敏なアンテナは、容易く手放せない。
今となっては私の良い部分の一部だとも思っている。
決して他人に同じ感度を求めてはいけないということも理解している。

可視化された「踏みにじられてはいけない領域」をしっかり守るためにも
コツコツと基盤を再構築する努力は怠らないように生きよう。

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