「正欲」
めっちゃ久しぶりです。こんちには。
昨日見てきましたよ。
浅井リョウ原作の、映画「正欲」。
原作を気になっていたのだけど、
なかなか読む機会がなく忘れかけてた頃、
映画化するとのことで、
しかもガッキーがでるということで、行って参りました。
一夜経ったので、感想を。
結論から申しますと、、、
私には難しすぎました。全然わからない。
終始重い雰囲気で、登場人物みんな目が死んでいて
共感できすぎてしんどいではなく、
雰囲気がしんどかった。苦しい。
エンディングの主題歌が、Vaundyなんですけど、
映画館で聞くVaundyが良すぎて、
それまで苦しかった心が洗われた気持ちになったのでそれは良かったですが(笑)
この話は、
多様性を本当に理解できているのか。とか
自分の当たり前を押し付けていないか。とか
マジョリティ側はマイノリティを理解する側だと思っていないか。とか
そういったことを訴えたかったという理解で私はいます。
ん~~~~~。
いや、他人は理解できんし、理解せんで良くないか?
と、いうのが率直な感想。
なぜ理解してもらえないと嘆いたり、
理解した風?の人に対して、本当に理解できてるのかと警鐘を鳴らすんだろ。そもそも全てを理解することが無理なのに。
映画を通して、所謂マイノリティ側の方々は
”誰かに理解して欲しい”と考えているようなのですが
その時点でマイノリティ側も「理解される側」と自分たちのことを捉えていることになるのでは。
水フェチの二人が、
性の対象が異性である所謂普通の人の真似事をして
理解できんなぁって言っているシーンがあるのですけど
それと一緒で、私は水フェチが理解できない。
他者を理解することの難しさに
マイノリティもマジョリティもないでしょう、と思うのです。
分かり合える誰かと一緒に居たいという欲は、
所謂普通の人もそうでない人にも共通した欲として表現されてたぽいけど
普通でないとされる人は分かり合える人を見つけるのが難しいから辛いんだよってことなんだろうな。
(分かり合える人と一緒にいたいっているのも、そう思わない人もいるんだろうけど。むずかしい)
普通の人とされていた検事さんは、結局分かりあえなくてパートナーと離婚に向かっているし
普通の人とされていない水フェチの二人は、お互いに居なくならないで欲しいと思い合っているし
分かり合える他者と、一緒に居続けることの難しさに
マジョリティもマイノリティもない。
確かに出会う確率は、マジョリティのほうが高いけど
出会ったあと、居続けられる確率はマイノリティのほうが高いんじゃないかな。これは蛇足ですね
映画感想サイトとか見ていると、
響いている人が沢山いるように見えて、
刺さる人には刺さる映画なんだろうな、
色々考えられたし、観てよかったかも。
苦しかったけど。
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