ライブ・ペイン・ティング(上)
一日目正午
静かな事務所の一室で、2人の人間が立ち話をしている。
「こういうのはまず依頼人が事件を持ち込んでくるものだ。運命的にね。寂れた探偵事務所に舞い込む事件の呼び声。出席確認のようなものだね」
「そうですか」
「良いお返事だね。我々は長い首を更に長くして、堂々と座して待てば良いのだ」
「そうですか」
如何にも探偵ですと言いたげな格好をした妙齢の女性は、そう宣言すると散らかったスチール製の机に腰かけた。本当に机に座ったので、机上のものがいくつか床に落ちた。
「……」
「……」
「麺、伸びちゃいますね」
「…そうだな。依頼人が来た時食事中だと格好付かないから、もう少し待とうと思ってたけど、食べちゃおうか。折角作ってくれた料理に失礼だ」
私は来客用のガラスのテーブルに、お湯を注いだカップ麺を2つ置いた。この探偵はシンガポールラクサ味のカップ麺しか食べない。色が好みなんだそうだ。私は別に拘りがないのでその時目についたものを買う事が多い。今回はシーフード味だった。
割り箸を割り、手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
「あの、すみません」
先ほどまで無言だったドアが、急に口を開いた。
「ドアって喋れたんですね」
「違うよ歩夢。あれは来客という奴だ。ドアの向こうには人がいて、その人が喋ってる」
「そっちの方が珍しいですよ。いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
眼鏡をかけた、ショートカットの大人しそうな女性だ。こんな事務所に1人で来るのにはさぞ勇気が要るだろうに。だって見るからに胡散臭い事務所だし。今はラーメン臭いし。
女性は来客用の皮のソファー(所々中の綿が露出している)に腰かけると、依然ラーメンを啜っているそこのふてぶてしい探偵に向かって切り出した。
「ここって探偵事務所なんですよね?探偵さん。あなたは例の男子高校生の行方不明事件をご存知ですか?」
「ご存知だよー。私は何でも知っている」
「じ、じゃあ!今その子はどこにいるんですか!?無事何ですか!?」
流石に本腰を入れて話を聞く気になったのか…失礼、食事を爆速で終えた探偵は箸を起き、ふーっと一呼吸ついた。
「御馳走様でした。おいしかった。さてお客様、まずは落ち着いて下さい。手順を踏みましょう」
やってることは礼儀正しいのによくここまで無礼な感じが出せるものだと感心する。軽蔑もする。依頼人は緊張していたのか、入室時は血の気の少ないやや青ざめた顔だったが、この探偵の対応に少し頬が紅潮してきている。まさか惚れた訳ではないだろうから、怒りの沸点が上がり始めているのだろう。
「っていうか一応私は客なのですが……お昼時に来店した私にも落ち度はありますが、失礼じゃないですか?」
「まあまあ。非礼は御互い様ということで。私は寛大ですよ。まずは自己紹介といきましょう。私西宮玖という者です。キューちゃんとお呼び下さい」
話が進まないので必要最低限で喋って欲しい。もしかしたら服役明けで初対面の人との距離感を忘れているのかもしれない。
「……私は、岡本和子と申します。箱中図書館で、司書をしている者です…」
「何とお呼びしたら?」
「えっ……お、岡本で…」
「心得ました。それで、岡本さん。どうしてあなたがその行方不明事件調査のご依頼を?行方不明になった彼らの親御さんではないですよね?」
この街でつい先日に起こった男子高校生2名の行方不明事件。確か名前は涌井水樹と四ツ谷洋介。地元の朝刊にも載っていた位なので、地元の主婦の噂話のネタになるくらいには、大きな騒ぎであると認識して良いだろう。
「あ…それは…その…その2人がうちの図書館によく来ていて。急にある日突然ぱたりと来なくなったので……気になって調べてみたんです」
「ふむ?」
「そしたら、あの…警察でもあまり調査が進んでいないみたいで。けど、自分で調べるにも限界があると思いまして…それで、人探しといえば探偵じゃないですか?」
「なるほど。しかし探偵への依頼ってのは結構高くつきますよ?赤の他人であるあなたに、そこまでする義理がありますか?」
珍しくまともな指摘だなと思った。探偵の依頼料金は相場でも数十万はする。動機としてはいまいち弱いような。
「……それは、その。仰る通りです。ですが、お金なら払います。必要でしたら、前金もご用意します。怪しいかとは思いますが、約束は守りますので、どうか」
「結構!きっと退っ引きならない事情がお有りなのでしょう。その依頼、引き受けましょう」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「いえいえ、お礼は事件が無事解決…もとい、彼らを無事見つけ出した時にとっておいて下さい」
そう言うと西宮は仕度を始めた。早速調査に取りかかるようだ。
「あ、それと」
「はい?」
「彼女の紹介をしていませんでしたね。彼女は夢野歩夢。私の助手兼、この事務所のボスです」
「宜しくお願いします」
私は頭を下げると、探偵に続きこの場を後にした。
一日目午後
→箱中図書館へ向かう
ここは小さな図書館だ。時々学生が勉強をしている他はあまり利用者は多くない。だがその慎ましい佇まいは、徐々に秋めく木々に彩られて、閑静な住宅街によく馴染んでいた。
「岡本さん」
「はい?」
「件の男子高校生達とは面識があったんですか?」
「ええ…1人の大人しそうな子の方とは何度か挨拶したり、軽い雑談をする程度の面識はありました」
「もう1人の方とは?」
「そっちの子は…挨拶程度はしましたが…正直、怖くて」
「怖い?」
「はい…見た目で判断するのは褒められた事ではありませんが…もう1人の子は髪色も明るいしアクセサリーも沢山つけてて…滅多にそういう利用者の方を見たことが無かったので…すみません」
「なるほど。大柄で筋骨隆々だった?」
「いえ…普通の体格だったと思います…」
「ふーむ」
西宮は何やら思案気に口元に人差し指を添えている。
「ところで、意気揚々とここに来ましたけど、何か目星はあるんですか?」
「うん。とりあえずまずは現場検証じゃん?やっぱ。こういうのは形が大切だから、ここに来さえすればそれで済む。ほい次行こ」
「え?じゃあさっきの会話って何だったんですか?」
「?ただの雑談だけど…」
さっきの思案顔が、見た目通り頭を働かせてくれてたのであって欲しかったな、と不安そうになる依頼人の顔を見て、思った。
→御伽高校へ行く
ここは御伽高校。校内には部活動を行う生徒の活気溢れる声が響いている。私達(岡本さんには帰宅して頂いた)は、というか主に私が、残っている生徒達に対して聞き込み調査を行った。以下にここで得た情報を記す。
~~~
「あーはい。涌井君たしかオカルト部だったと思いますよ」
「四ツ谷ってあの転校生の不良?相当やってるらしいよね、こわ~」
「なんかいじめみたいな感じだったらしいじゃんあの子。たまに金髪に連れ回されてたの見たって人もいるって」
「えー可哀想だねそれ」
~~~
こんな感じ。西宮はちゃっかりと私服警察に変装して職員室に堂々と入り込み、涌井少年の自宅住所を入手してきたのだと言う。警察手帳での証明等求められなかったのだろうか。顧客の目がないとすぐにこれである。眼に余る。
→2人の少年の自宅へ
先に四ツ谷少年の自宅へ向かったが、ご家族の方が留守だった為に、涌井少年邸宅にて。
ご両親にお話を伺う。こちらはストレートに人探しの探偵であるというこちらの身分を明かし、調査にご協力頂くという形で情報提供を求めた。ご両親は自分達と警察以外に息子を探してくれる人がいるのかと驚きはしたが、幸いにも概ね好意的にこちらに対応して下さった。
涌井少年は昨年まで不登校だったそうだ。本人が明言した訳では無いが、おそらく学校でいじめがあったのではないかとご両親は考えているらしい。勉強道具や運動靴がズタボロになっていたり、ある日急に怪我や落書きをされて帰ってきたりとかなり黒に近い証拠を見つけてしまっていた。この件に関して実際に直談判もしてみたが、学校側の声明としてはそのような事実は調査の結果確認出来なかったとの事、だそうだ。
不登校になってからは、2週間に1回の心療内科でのカウンセリング以外、ほとんど塞ぎがちになってしまっていた。ところが最近、気分転換だと称して外を出歩く事が増えていたのだという。少なくとも事態は良い方向に向かっている…そう両親が安心しかけた矢先の神隠しである。
たいそう気の毒な事だ、と思った。笑止千万である。
この言葉、こういう場合でも用法としては間違っていないそうな。
→喫茶店タンポポにて
「さて、夜まで時間がある。不味い珈琲で一服しよう」
「良いですね。少し歩き疲れました」
私たちが喫茶店タンポポの入り口を開くと、そこには見知った顔がいた。
「げ」
「人の顔拝むなりいきなりげ、とはなんだげとは」
「追川警部ですか。お久し振りです」
初老の刑事がおう、と返事をする。
「なんだお前らこんな時間に。いやそもそも外に出てるのが珍しい」
「おっちゃんこそまたここかよ。いくら生活安全課だってもう誰も非行少年はここに来ねーよ。もうここお前ん家じゃん半分」
先程の聞き込みでも生徒達の間では、喫茶店に定住する妖怪の噂は有名のようだった。
「やかましい。…あーあれか。昨日のあの司書さんがお前らの悪ふざけに付き合わされてんのか?」
「はあ?」
「色々聞いてきたんだよ。捜査情報だから部外者には教えられる訳無いんだが」
「誰が?岡本さんが?あーそういえばそんな事言ってたか。自分でも色々調べたとか。こっちも彼女の依頼だよ」
警部はぎょっとした表情をこちらへ向ける。
「…やれやれ。そりゃ相当何か思い詰めてるな。大人しそうでいて根はかなり強情というか…窓口の子がしつこく食い下がられてかなり困ってたから印象に残ってたが…」
印象に残す暇があったら助け船の1つでも出してあげないのだろうか。追川警部は珈琲を1口啜ると、ふーっと息をついた。
「っていうか警部さんかよ。偉くなっちゃったんだ?いいねえ。月日が経つと革命でも成功するんだね」
「まあな。地道にコツコツとやってるからな。見習って良いぞ」
「現在サボってる様にしか見えない不良警察が何か言ってんな」
本当に何で昇進出来てるのかは私も疑問に思う。関心は無いが。
残りの珈琲を飲み干し、刑事は小銭を銀の小皿にカランと支払った。
「ともかくお前ら、あんまり夜遅くは出歩くなよ。夢野のお嬢ちゃんも、うろうろしてるとまた迷子になるぞ」
「余計なお世話感謝致します」
「あっ!ねえ歩夢!忘れ物してきちゃった!事務所戻らなきゃ!」
「…ほんとにもう。忙しないですね」
一日目夜
「日も落ちたし、頃合いか」
図書館の前に、2つの人影が見える。街灯や遠目に見える民家の明かり、それに月明りが建物の陰や闇と混ざり空間をとぷりと満たす…静かだ。
「その感じだと、やはり今回の行方不明者…面識がありますね?」
「あるよ。四ツ谷くんの方から依頼を承けている。依頼人は3人いた。んで、彼と今日ここで落ち合う事になっている」
「あっ!西宮さーん!」
図書館の中から扉を開けずに2人の制服を着た少年が現れた。此方に向かって手を大きく振っている。やはり彼らだったか。
「今晩は四ツ谷君。そしてそっちが件の涌井君かな。私が私立探偵の西宮玖です。初めまして」
「初めまして」
「今晩は西宮さん。そうです。こいつです。伝説上の生き物ヤンキーに優しいオタクです」
「ふむ。それでは涌井君。君はどのように自分の身に起こった事を理解しているのかな?今のところは、だけど」
「正直…何が何やらさっぱりです。いつの間にか自分が半透明になってて。お互いの姿は見えるのに四ツ谷と僕の姿は誰にも見えていない…のかと思っていましたが、西宮さんには見えてるんですよね?」
「うん。見えてるよー」
因みに私にも見えている。如何にも大人しそうで、男児にしてはやや長めの黒髪の方が涌井水樹少年で、快活そうな明るい金髪の方が四ツ谷洋介少年。司書は恐がっていたが、少なくとも威圧感のようなものは私には感じられなかった。
「それで…もしかしたら自分は死んだのかもしれないと思いました。でもお迎えも来ませんし、どうすれば良いのかもわからないので、四ツ谷と話したり、この辺りをふらついたりしながら、途方に暮れてました」
「あーそういえばさ、俺達御伽高校で噂になってるらしいよ。喋る本の怪とかいってさ。七不思議入りも狙えるかもな!」
「嬉しくないよそれ…っていうか、助け呼んでくれてたんだ。友達少ないとか言ってたのに」
「古い付き合いみたいなのは多いんだよねウチ。残念な家だけど、こういうところは得かな」
「そうなんだ…ありがとう」
少々奇妙な取り合わせだが、案外仲は良いようだ。人は、いや幽霊も見た目に依らぬものだな、と思う。
「んー。何から説明したものやら。まあ君らはちょっと面倒なトラブルに巻き込まれている。これは私の責任でもあるから、君たちの安全は此方で保障しよう。おねーさんに任せなさい」
んー……雑。
「あの…一体トラブルってどんな…」
「それについては彼女にお出まし戴こう」
西宮が後ろを振り返り、大木の方に向かって近隣住民のご迷惑にならぬよう程々の音量で呼び掛ける。
「岡本さーん。呪術師は来ないですよー。多分こっちが気付いた事バレてるから」
………。
「早くしないと涌井君から司書さんの記憶奪っちゃいますよ?」
「…」
観念したように、彼女が木陰から現れた。
岡本和子…今回の依頼人。
「あなた……本当に一体何者何ですか?何なんですか?」
「大方ヤツにアタシを生け贄に涌井を蘇らせようとか吹き込まれたんだろ?そんなんね、ペテンみたいなものだから。大体、一度しくじってるヤツの肩を持つのか?私は今までこの仕事を一度たりともしくじった事がない。いいか?さっきああは言ったが涌井にあなたの記憶は一切無いよ、今のところはね。記憶が無いから事実が無い。事実が無いから関わりがない。関わりが無いから縁が無い。縁が無ければ」
当然、呪法は使えない。
「そん、…な」
月明り照らす青い夜風。そんな青色に染まっていくかのように、岡本さんはみるみる青ざめた。
「冷静に考えてみて欲しい。私がどうして涌井君を呪わなくちゃならない?誰に何の得がある?私はそこの彼とは今日が初対面だ。君が冷静なら、私がそもそもそこの彼を呪えた筈がない事に気付くはずだ」
「あ…!」
縁が無ければ呪法は使えない。
一応四ツ谷や私を経由した依頼により、間接的な縁が出来たともとれなくもないが。いずれにせよ私達がどなたか一般市民に敵意を持って接する理由は毛頭無いのだ。
「第一ヤツがこの場に現れないのが何よりの証拠だ。決行は今夜だったんだろう?その為にわざわざ図書館を先に調べ、しばらくは調べ直さないだろうと思わせた。夜に空きがでるようにしておいたんだ」
最早彼女は生気の失せた顔で、ただ茫然自失に此方を見つめるばかりだ。
「まあ幸い大した被害は無かった。今のところは。取り越し苦労のところ悪いが、当初の依頼通り彼らはアタシらに任せておきなさい。無事元の生活に戻してやるよ」
あっ、西宮さん。四ツ谷君の方はさておき、涌井君の方は多少なりともウチで働いて貰わないと。丁度事務員を探してたじゃないですか。
「そうか…事務員か…良いね。君WordとExcelくらいなら触った事ある?デジタルネイティブ世代だし余裕かな?」
「待って下さいよ!お代なら俺が用意しますって!」
「いんだよお前のとこは。爺様にはこの前も世話になってるし」
徐々に話題はこれまでの出来事からこれからの方針へと移り変わっていった。1人の感情を置いてけぼりにして。
「…待って下さい」
「ん?まだいたの?もうあなたにできる事は無いよ。さっさと帰んな」
「…無関係、だったんですよね?」
わなわなと肩を震わせながら、岡本さんは口を開く。
「ならおかしいじゃ、ないですか…どうして西宮さんは私に裏切られたのに。嘘の依頼だってわかったのに。涌井君を助けようとするんですか?」
「裏切ったくらいで見放して貰えると思うなよ。依頼はまだ有効だ。貴女が正式に取り下げない限りは」
「なら!取り下げます!依頼はキャンセルにして下」
「あっそ。ならお好きにどうぞ?どうでも良いけど君、手段と目的を履き違えてない?そうそうところで、私の趣味はボランティアだ。君のキャンセルを承諾した後、私は悠然憮然と彼の事を救うけど?」
舌戦が段々とボルテージを上げていく。恐いので帰りたい。
「違うよね。君は彼を救いたかったんじゃない。彼に感謝されたかったんだ。感謝され、それを切っ掛けに交遊を深めたいという立派な下心があったんだよね?あーあ、はしたないなあ、仮にも相手は高校生だよ?分別ある大人は子供に発情しないものだ。まるで盛りのついた兎の様じゃないか」
パンッ、と乾いた音が響いた。
岡本和子が、西宮玖の頬を張ったのだ。よく見ると、岡本さんの目には涙が滲んでいた。
痛かろうに。
そのまま岡本さんは振り返ると、脱兎の如く走り去ってしまった。
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