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私の憧れの人

少し前のことだが、母方の祖父が亡くなった。
人の死をコンテンツするのもどうかと思うが物事への考え方に影響があったのでこの変化をリアルタイムで記録するためにも書いてみる。

朝起きたらその連絡があったので30分で支度して新幹線に飛び乗り地元の祖父宅へ向かった。

祖父宅は親族や弔いに来て下さった近所の人たちで賑わっていたものの、悲しさと驚きと虚無感を合わせたような雰囲気で包まれていた。

おそらくまだ祖父の死を受け入れられていなかったのだろう。
その触れたことのない雰囲気に、葬式や人の死が物語の冒頭や場面の展開に使われるのも納得だなどと考えていた。

祖父の死を機にあらゆる人の人生が少しずつ変化していくのだろうと感じた。
その理由は相続などの問題もあるが、1番は祖父の人間性にある。

祖父は物知りで知的好奇心も旺盛で、リーダーシップも取れる上に気配りのできる人間であった。

常に情報の更新を続け、未来を見据え適切なタイミングで適切な行動をし、必要ならば人助けを進んでやる人だ。
私たちが何かを決断する時にはあらゆる観点でアドバイスをくれるものの、決断後には何も言わずその道を応援してくれるのも好きなところだった。

さらに茶目っ気たっぷりにジョークも挟みながらの話術も素晴らしく、孫ながらこの人のこと嫌いな人はいないのではないかと思うほど。

さらに社長として会社を率いていたほどのリーダーシップ能力は今でも健在だった。

おそらく、私たち家族を含む親族一同はみな祖父を心のどこかで頼りにしていたのである。
何か迷ったら、困ったことがあったら祖父に相談することで適切なアドバイスがもらえる、解決に導いてくれる、助けてもらえると思っていた。

祖父は卓球も趣味で部活動並みの頻度で通っていた。昔よりも歩くスピードは遅くなったが、まだ背筋はピンとしていて年相応の老いも感じさせない立ち振る舞いは日々の運動の成果だろう。

それくらい元気だったから、突然の死に驚かない人はいなかった。
ちなみに亡くなるその日の夜も卓球の練習に行っていたらしい。パワフルでストイックな祖父らしいといえばらしい。

線香をあげにきたご近所の多くの人が口々に言う言葉があった。「理想の夫婦」「素敵な夫婦関係」と祖父と祖母の関係を讃えるのである。

具体的にどうとまでは聞けなかったのだが、周りの人からそう見られる夫婦関係はすごく素敵だし羨ましく思った。

2人が何十年と寄り添い続け、激動の昭和の時代を乗り切り、子供2人をしっかり育て上げ仲も円満に仲良く過ごしていた時間は2人の人柄から容易に想像でき、かけがえがなくあまりに尊い。

私はもとより結婚願望は薄い方だ。
しかし祖父の死をきっかけに、心に決めた人と寄り添い最期まで側にいる生活をポジティブに捉えられるようになったと感じる。

葬儀での別れの言葉でも祖父には話したのだけれど、これからの人生を考えるとやっぱり祖父のような人になりたいと思う。

誠実でひたむきで好奇心も旺盛でパワフルで常に変化を楽しんで生きてそうな人。人を信頼し信頼される人。

祖父の周りに人が集まるのも当然である。祖父は、どの思い出の中を振り返ってもあまりに素敵すぎる。

今年の正月は帰っても会えないのが寂しくてしょうがない。
まさかもういなくなってしまった人からこんなに影響を受けるなんて。私の憧れの人は今もまだ遠い存在だ。


サムネイルは大学進学で地元を出る時に祖父がくれた言葉。

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