学生時代にずっと仲が悪かった友達と分かり合えた話

学生時代に仲が悪かった友人、気が合わなかった人。
どんな人でも少なからずいると思う。
そんな友人と10年ぶりにあってわかりあえた話をしようと思う。

この話をするにあたって重要なキーワードがある。

愛される人間

生まれながらにして愛される素養をもって生まれた人間っていると思っている。
先生、先輩、後輩、年齢関係なく誰からも好かれるような人間
まさにナチュラルボーン愛される人間だ。

特にそれは学生時代に顕著に現れる。
なぜなら学生は様々なことに対して経験が浅く、取り繕うことが難しいからだ。

先生、先輩に対してただ従順なだけでなく、後輩にもただ甘いわけでもない
押すところは押すし、押さないところは押さない。
色んなタイプの愛されるタイプがいるが、全員総じてとにかくバランス感覚がよく、人から愛される。

もちろん僕は愛されない側の人間だ。
ナチュラルボーン愛されない人間
書いてて悲しくなる。

だが、当時の僕はいろんな人に好かれたかった。愛されたかったのだ。
愛されるために色んなことをしたと思う。
今となってはなんとなくの黒歴史として覚えてる。思い出すと恥ずかしい。

そしてもう1人、僕と同じようなタイプの人間がいた。
それが仲の悪かった友人だ。

僕とそいつは同じ友達グループに属していたがネタにされないくらい仲が悪かったんじゃないかと思う。
当時はお互いになぜ嫌いあってるかよくわかっていなかったが、今思うと同族嫌悪のような感じだったのかなと思う。
愛されない人間同士が愛される人間のポジションを奪い合っていた。
最終的にはどちらも愛されポジにいなかったように感じるが・・・

そんな友人と10年ぶりに会った。
10年は人を変えるには十分な時間だった。

僕もそいつもお互いが人に愛されない人間だと気づいていたのだ。
俺たちはナチュラルボーン愛されない人間だと。

そしてそれに気づいたことにより自分の言動・行動を改める事が出来ていた。
僕たちは無理に愛される側の人間に立とうとしなくなっていた。

不思議なものでそのほうが結果的に愛される側の人間に近づいているような気がした。

僕は全員から好かれるのは無理だと心のそこから思っている。
ナチュラルボーン愛される人間でさえ、特殊な環境下では嫌われる側の人間になってしまうかもしれない。

今の時代SNSで様々な人と関われる。
色んな悪口を見る機会もあるだろう。
そういった悪口に過剰に反応して落ち込んでしまうのは、もしかして自分が愛される側の人間だと思っているからじゃないか?
安心して欲しい。残念ながら君はナチュラルボーン愛される人間などではない。
そんなナチュラルボーン愛されない人間でも気が合うやつはいるし、なんの問題もない。

愛されないことを自覚しよう。

無条件で愛してくれるのは犬だけなのだから。

#人間関係

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