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ひとりあるきする言葉たち


「だいすき」
とかいて、なんて読むだろう。

"ハグしたくなる優しさ"
とでも読もうか。



9.27 23じ11ぷん


だんだんと空気が秋っぽくなってきた。

生ぬるくなっていく風には何の記憶も巡らせないのに、肌寒くさせる風には何か思い出のようなものがふわ〜っと匂ってくる。

この感じが好きだ。

自転車のスピードで風をきっているのに、体温が空気に溶け込んでいく。

事実と感覚が珍しく乖離している。
よくわからない。この感じが好きだ。



最近よく言葉がひとりあるきしているらしい。

というのも、なんか、
自分が本来使いたかった言葉や使ってた言葉が、今使いたくなかったり使えなかったりしているのだ。

ああ、あるく言葉さん。

てくてくあるく言葉さん。


言葉さんが
リュックを背負って、そのリュックの中にあれもこれも"荷物"を入れられて潰されかけているのかもしれない。

言葉さんが
いろんな人にあちこち触られて、いろんな人のいろんな"手垢"がつきまくって濁っているのかもしれない。

言葉さんが
いろんな人に凹まされたり膨らませたり、本来の"かたち"を忘れて戻れなくなってしまっているのかもしれない。


もはや、その言葉さんには"意味"がなくなってしまっているのかもしれない。


"共通認識がある程度容易にとれる術"として使われている"言葉たち"は、この世界ではいつの間にか意味を失ってしまったのかもしれない。


使う人たちが勝手に良いように書き換えて書き込んでいる。
受け取る人たちが勝手な自己のフィルターを通し解釈して飲み込んでいる。

本来は意味を囲った言葉たち。
それに重ねて、また違う形で囲う意味が存在している。

そんな感覚がわたしに勝手にあるのだ。

そして、
そんなわたしも勝手に良いように使って勝手に受け取っているのだ。


この言葉使っていい?という許可制でもないし、承諾書を提出する先も存在しないけれど。
私は、自分自身が抱きしめられる半径内に入る言葉たちと共に過ごしていきたい。
そうやって、書いたり口に出したりしたい。



その言葉に、あなたは触れていたいですか??



その言葉をハグしたいか、その言葉からハグされたいか、みたいな感じ。

今の自分に灯されている感情を丁寧に問うて、ひとつひとつ紐解いていく。
そしてそこから出てきた言葉たちを、わたしはぎゅーうっと抱きしめたり、ぱぁーっと手放したりしていきたいな。



"ことば"というものに自分の想いの適した形や温度を帯びさせたくて、"自分の哲学"たるものをいつの間にか持ち合わせていられるようになった気がする。
その自分になったら、なんだか他人の感情や言葉によってブレることが少なくなった気もする。

そしてなにより、
言葉を使うことが気持ち悪くなくて、
言葉を受け取ることが気持ち悪くなくて。
それが、わたしは、とても嬉しい。



誰もが勝手に使ったり、勝手に受け取ったりできる"言葉"。
口から音として発したり、手や体を使った動きにしたり、文字として形づけたり、いろんな言葉がある。
そしてそこには、想いがある。

だから私は、言葉が好きなのだ。
いや、好きとは違うな。
言葉はずっと大切にしたいもの、だな。



使い方もそれぞれだし、受け取り方もそれぞれ。

だけどやっぱり私は、
人間から課された"荷物"が少なくて、
"手垢"が少なくて、
"かたち"がある程度保たれているものがいい。

わがままだけど、そういう言葉選びをしたい。




言葉に手足は生えているのかなあ?
車輪があるとしたら、時速どれくらいなんだろう?


ことばがひとりあるきしている

という言葉も、
どこかでひとりあるきしているのかもね。


一緒に歩いて行こうね。


mmo


いただいたサポートで美味しいメロンパンを買いたいと思います。(^^)