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いま必要なのは心から愛せる推しなんじゃないか

という気づきは、案外的確に芯を捉えている気がする。

昔から、「○○しなければ」という義務感に囚われることが多い。もういい歳だから実家を出なくちゃ、スキルを得て自分の名前で仕事をしなくちゃ。それは我ながら正論で、いずれ目指していきたい姿ではあるのだけど、最近あまりに急な坂を上っている気がしてならない。

高校時代の友達に会ったとき、ふいに「何が好き?」と聞かれてどきりとした。駆け足で息切れしているわたしはいま、何を好きでいるんだろう。足元を見失っているかもしれないとそのとき気づいた。軽やかに端的にボールを放ってくる彼女は、最近年下の某ジャニーズくんを熱烈に推しているらしい。

「マッチングアプリをする時間があるなら推しを見ていたいんだよねぇ」。のんびりとした口調で確固たる意志を告げられて笑ってしまう。何を隠そうともに全盛期の嵐を宮城まで追いかけたわたしたち、推しの尊さは知っている。わたしはかつてのそれさえも、もういい歳だからと手放したのだった。いろいろ理由やタイミングはあったけれど、奥底の固定観念がそうさせたことを、誰より自分がよくわかっている。

結婚するのかしないのか、将来も仕事を続けるためのスキルをどう得ていくのか。お金を稼いで豊かに暮らしていくことへの不安は漠として消えない。でも、一度何もかも手放して、わたしの好きなものを目一杯愛でてみてもいいんじゃないか。そこから測り知れないものを得られる気がしてならない。

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