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2019 天国には別の入り口がある1

 俺は砂漠の夜明けを見に行くツアーに参加していた。
 一面の砂の波が続く砂漠を、ツアー客がラクダに乗って歩いていく。
 冷え冷えとした空気で耳が痛い。足に密着するラクダの身体が暖かい。
 俺たちは夜明けを見に行こうとしているのに、明け始めた空には、重い雲が垂れ込めている。
 砂丘の頂上で、灰色の空から粒が降ってきた。ラクダの隊列が歩みを止める。
 粒を手のひらで受け止める。それはじわりと溶けて黒い水滴になった。
 雪だ。
 空から黒い雪が降ってくる。砂漠は煤けて、砂丘が鯨の背の連なりに変化する。
 禍々しくも、どこか神々しい風景だった。

「砂漠に黒い雪が降る夢を見た」
 柏木類はスマートフォンでツイッターへツイートを送信した。
 ホテルの業務をナイトフロントへ引き継ぐ直前の空き時間、類は煙草を吸いに従業員出口を出た。東京駅近くのホテルの狭い路地は、高層ビルの隙間に空いたエアポケットのようだ。
 紫煙を吐き出しながら、スマートフォンの液晶画面をスワイプする。ツイッターのタイムラインはリアルの友人から見知らぬ他人まで、さまざまな人間のツイートで埋まっている。
 ツイッターにときどき見た夢をツイートする。ポツポツといいねが返ってくる。類が煙草を吸いながら見つめていると、通知にリプライが来た。
『@soramimihour はじめまして。クドリャフカと申します。僕も同じ夢を見ました。遠くまで黒い雪が積もって、きれいでした』
 クドリャフカという名前に見覚えがあった。自分の夢のツイートによくいいねをつけてくれる常連だが、どんな人間かは知らない。類は当たり障りのない返事をした。
「@kudryafca はじめまして。そらみみです。リプありがとうございます。変な夢ですよね」
 送信すると、瞬時にいいねが返ってきた。携帯灰皿に押しつけて煙草を消すと、ホテルに戻る。ナイトフロントへの引き継ぎを終えた類は、ホテルの制服を私服に着替えてタイムカードを押した。
 東京駅まで歩く道すがら、スマートフォンを確認する。
 ツイッターを開くと、ダイレクトメッセージが届いていた。誰だろうと首をひねる。
 モノクロの犬のアイコン。クドリャフカからのメッセージだった。

『突然DMしてすみません。クドリャフカです。
ふしぎなのですが、僕はあなたと同じ夢を見るのです。

あの夢には、その前の話があるんです。
砂漠に白い光が走って、
砂が抉られてクレーターができる。
その後に湧き上がるきのこ雲、
あれは砂漠の核実験場の跡です。
砂漠の夜は氷点下まで気温が下がる。
だから夜明け前に、砂漠に黒い雪が降ったんです。

変な話ですみません。
でも今回はどうしても言いたくなって、DMしました』

「何だこりゃ」
 東京駅のコンコースを歩きながら、類は思わず呟いていた。

 家へ帰る電車に揺られながら、類はダイレクトメールに返事をするべきか迷っていた。
 類はクドリャフカのツイッターのプロフィールを見た。
『クドリャフカ (Кудрявка)地球を初めて見たかもしれない犬』
 クドリャフカのページは、宇宙のニュースのリツイートが中心だった。後はネットのかわいい動物の動画だったり、海外の風景の写真であったりする。風変わりな人間だと思いながら類はダイレクトメールのページを開いた。
「DMありがとうございます。そらみみです。
そんなふしぎなことがあるんでしょうか。
君の思い違いではないかな」
 ダイレクトメールを送ると、すぐに返信が来た。
『昨日、玄関に変なぬいぐるみがある夢を見ませんでしたか?』
 確かに昨日は、家の玄関に海坊主のような魚のぬいぐるみが置いてある夢を見た。
『あれはメガマウスです。
それに、ジェットコースターのように入り組んだ滑り台の夢も見ましたね』
 類は数日前に滑り台の夢を見たが、ツイートはしていない。
 メガマウスの画像を検索した。口の大きい間抜けなサメが、スマートフォンの液晶画面に浮かび上がる。
『僕が見たのと同じ夢を、あなたがツイートしていたんです。
それであなたをフォローして、あなたのツイートを追いかけていました』
 類はダイレクトメッセージがチャットになっていると苦笑しながら、文を入力した。
「君は霊感がある人間なんですか?」
『僕に霊感はないです。あなたがどんな人かも、ツイートでしかわかりません』
「君は何をやっている人? 学生さん?」
『いえ、起立性調節障害になって、学校へ行けなくなったんです』
 起立性調節障害は子供に多い病気だった。自律神経系が不安定で、立ち上がろうとすると血圧が低下したり、心拍数が上がりすぎたりする。朝起きられないので、不登校になることが多い。
『高校にも行けなくて、家に引きこもっています』
 降車する駅の名前が告げられる。類は駅のプラットホームへ下りると、空いているベンチへ座った。スマートフォンを取り出す。
『だから、一度そらみみさんとお話がしたかったんです。
また夢の話でDMしてもいいですか?』
 引きこもりの子供。年齢は自分よりも若そうだ。類の学生時代にも、起立性調節障害になって学校へ来なくなった生徒がいた。引きこもりでも、すこしは社会との接点が欲しいのだろう。
「仕事の邪魔にならない程度に、相手をするよ」
 類がメッセージを送信すると、にっこり笑った絵文字だけの返信が来た。

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