81/100 空の落ち方
文字書きさんに100のお題 056:踏切
空の落ち方
夢を乗り継いでここまで来たけれど、ももの僕への恐怖が激しい雨を降らせていた。
トタンの屋根がうるさい音を立てている。灰色に沈む六月の森が、僕のももへ繋がる通路を阻んでいた。
ももと最後に会ったとき、ももは教会の夢のなかにいた。聖歌を歌う信徒のなかに紛れ込んで、ももがうつむいていた。僕が近づくとももは、神父からもらった聖体拝領の白いホスチアを吐き出して、近寄らないで、と言った。
神父は僕とももを無視して、信徒たちに聖体拝領を続けた。イエスの血と肉。神の肉を食べて天国へ行けるのか。カトリックの信徒の無邪気さに、僕は心の底から軽蔑したまなざしを向ける。
ももは僕の肋骨から生まれたクローンだ。僕とひとつになるべく育てられた被造物だ。
それなのにももは僕を見ると蜘蛛を見たように怯えて逃げ出した。ももは自分の夢のなかへ、暗闇に延びる螺旋階段を辿って、下へ下へと逃げていく。
ももはなぜ僕をわかろうとしないのだろう。君は僕の一部だというのに。
いくら逃げても、この世界には僕と君しかいない。他の人間は、夢のなかにしか住めないbotだ。
雨のなか、ももは僕から逃げ続けている。僕はももが作る迷路を踏み越えてここに来ている。ももの速く脈打つ鼓動が重低音で僕の腹に響く。
僕に怯えなくていい。ももと僕はひとつなのだから。
ももは螺旋階段の一番下に、踏切を作っていた。
あの世とこの世の境に立つ踏切。人を不快にさせる警告音とともに、僕の目の前で踏切が閉まる。
闇から出現した銀色の電車が、ももと僕のあいだを通り過ぎていく。満員電車の人の壁が高速で通りすぎていく。
僕はももの拒絶を胸に穿孔が開いたような絶望感とともに感じている。
電車が通り過ぎた。ももが僕を見ている。ももの視線が頭に針のように突き刺さって、僕は前頭葉に痛みを感じる。
――何で僕から逃げるんだ。
ももはまつげに雨の雫をつけて、目に僕を入れないようにしている。
――僕と君はひとつなのに。
――逃げているのは私じゃない。
ももは僕の胸の穿孔に、尖ったネイルの人差し指を突きつけた。
――あなたよ。
電車がひときわ高く警笛を鳴らした。
穿孔の奥へ奥へ逃げていく人影を見つける。僕の影だ。影が僕のほんとうの心を盗んで、空の底へ落ちようとしている。
――私はあなたの姿をそのまま映しているだけ。
教会の信徒たちが聖歌を歌っている。「主よみもとに近づかん」。鉄色に輝く雨雲、天を仰いで思う。
僕にこんな開けた空間はいらない。
僕は穿孔を裏返した。ほんとうの心を追い求めて、空の底に手を延ばす。
僕の手をももが掴んだ。
世界じゅうに鳴り渡るももの心音で頭を潰される。幾度も繰り返す。
これはぬかるんだ産道を出る痛みだ。
ももは僕を穿孔の奥に引きずり込みながら、頭が出れば光が射すよ、と言った。