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捨てられない義母

最近SNSで流行っている

・持たない暮らし
・1日1捨
・毎日小掃除
・○○リセット

なんて言葉。
もともと掃除が苦手な私も「へ~簡単~」とか思いながら真似してみようとするが結局続かず…とかいう影響を受けている。

私は整理収納されてないと落ち着かない体質だ。
見た目がきれいに整頓されていなかったり、モノが使いにくい状態にあるとすこぶるイライラする。
必要なさそうなものを処分するのも人より判断が早いかもしれない。すぐ捨てるか売ってしまう。

昔から父に「部屋はその人の心の状態を表している」と言われていた。
当時は(だから片付けろってか!)と特に気に留めていなかったが、なぜか大人になって私もその考えに賛同している。

逆に母は整理整頓に手を出さない、掃除が好きだ。
気になったら拭く・洗うという行為が流れでできるタイプの人間だ。(クオリティは低いが)

父の整理整頓・母の毎日小掃除で実家は狭小マンションながらもキレイな状態を保っていたと思う。

ちなみに私は死ぬほど面倒くさがりなので極力動きたくない、故に掃除はこまめにできないし掃除機も週1かけられたら偉い方だ。
しかし汚いのは嫌なので、
「どうすればこまめに掃除せずキレイを保てるか」
「どうすれば一瞬で掃除を終えられるか」
に全力を注いで生きている。

旦那も特に問題はない。
整理収納は私の指示通りにできるし、掃除も気づいたらやってくれる。

問題は義実家なのだ。。

義実家は田舎にある一軒家だ。
義母はガーデニングが好きで、手入れされた庭は植物園のようになっている。
置物やレンガを駆使して
「ここに川を作ったの」
「ここで動物たちが会議してるの」
などと毎回設定を教えてくれると、工夫して楽しんでるんだなぁとほっこりする。

こんなに手をかけて庭造りをしているのに家の中はすさまじい。

ズバリ物が多い。

初めて義実家に行ったのは結婚前だった。
お邪魔します〜直後の光景に衝撃を覚えた。

靴箱には入りきらないほどの靴が詰め込んである(それなりに大きいのに)
それでも入りきらないので別ラックがある。

靴箱の上には、所狭しと置物や鉢植えが並んでいる。
壁という壁に飾られている海外土産のお面や、思い出の写真たち。

装飾については「ごちゃごちゃ飾るのが好きなんだな!東南アジア風で素敵!」と今でも無理やり納得させている。

義実家は4LDKなので2人暮らしには広すぎる。
しかしモノを溜め込む習性のある義母にとって、広すぎるという日本語は存在しない。

◎部屋①  --かつての旦那の部屋
当時使っていた勉強机やベッドなどはそのまま。
その上や空いたスペースにモノを置いている。
ちなみにクローゼットは義母の服で埋まっている。

◎部屋②  --衣服・その他もろもろ
人1人通れるか?くらいの通路しかない、服や物で埋まっている。

◎部屋③  --寝室
ここだけは布団を敷いて寝るので唯一物がない。

◎部屋④  --服・教材・化粧台
布団2枚でぎゅうぎゅうになる。

◎リビングダイニング
誰もひかないピアノ
無くてもいい本棚
突然のPCエリア
ぎっしりと食器やグラスが詰め込まれた食器棚
整理整頓されていない複数の棚
キッチン横の謎のデッドスペース

出窓にはこれまた所狭しと植木鉢や写真立て、オブジェ、トロフィーが置かれていて、もう何も置くことはできない。

ダイニングテーブルの椅子をしっかりしまっておかないと冷蔵庫や食器棚があるので通れない。座った状態で冷蔵庫を開けられない。

キッチンの棚の中は年季の入ったキッチングッズがたくさんある。
ザルだけで20個くらいあった、衝撃的だ。
食器棚に入っているグラスにいたっては50以上はあった…

◎洗面脱衣所
一時的に着替えや歯ブラシを置いたりするスペースはない。
お風呂あがりに着る服をどこに置けば良いか毎回悩む。
洗濯洗剤などは床に直置き。
古い家だからか、換気機能が無い。
カビがすごくてあまり触りたくないエリアが多々ある。

いちいち気を遣うのが嫌だな~と思っていた矢先、義父が言った。

「もっと片付けたほうが良いよな」

そうだ、その通りだ。

「コレとコレを片付ければもっと広くなりますよね」
「こんなにコレいらないですよね」
「コレを2階に持っていきたいので勉強机とベッドは処分したほうが良いですよね」

私は溜まった鬱憤を晴らすかのように言った。さらに旦那も加勢した。

これがいけなかった。

「今2階から少しづつ片付けてんだよ!(主に衣類)」
「これ(本棚)はインテリアだよ、インテリア!」
「今不自由が無いんだからこのままでいいんだよ!」
「(ピアノは)業者に頼まないと2階になんて持っていけないよ!」
「(多すぎるザルは)いるんだよ!使ってんだよ!」
「(多すぎる食器、グラスは)入ってるんだから良いだろ!」
「(使っていない物は)壊れてないんだから捨てる必要ないだろ、置いておけるなら置いておくんだよ!」
義母はイライラと返答していた。

義母は主婦だった。
今まで家のことは全て一人でやっていた。

近所に仲のいい人など特にいない。(と思う。)
家計のために英語力を生かしホームスクールや塾でバイトをしたりしている。

仕事先でいろいろあり精神を病んだりすることがたまにある。
(義母が病むとガーデニングのされない庭が無法地帯になるので分かりやすい。)

ストレス発散もあるのか買い物が好きで、よく服や靴を買う。

それぞれにいろんな状況があって、たまに来る私たちが軽く口出しをして良い問題ではないのだ。
そもそも生活しやすい部屋かどうかは環境や人それぞれの価値観によって違う。
義父母がこれでいいと言っているので放っておけば良いと思う。

しかし、だ。
私はどうしてもどうにかしてほしい。
理由は2つある。

1.義父母の高齢化

義父母は若い頃から体を動かすことが好きだ。
そのおかげでどちらもとても健康的、鍛えられていて若々しい。

しかし義父はもう70を過ぎた。
あまり無理をしてほしくない年齢だ。

父が死んでから私のこの心配はとても大きくなった。
いくら元気でも例えば突然1人になってしまったら?
もう絶対に1人じゃどうしようもない、という状況になったらどうするのか。

できるうちに少しづつコツコツやっていかないと、手がつけられなくなるだろう。

そして例え1人になって何もできずに2人ともいなくなってしまったら?
この状況をどうにかするのは旦那だ。
ということは私にも大いに影響がある。

義父が以前、
「この家は俺たちが死んだらお前のもんだぞ」
と言っていた。
私はそれを聞いて背中がゾクッとしてしまった。

“立つ鳥跡を濁さず“とまでは言わないが、せめてできるうちに量を減らしておいてほしいと思うことは、悪いことではないだろう。
もちろん今やるのであっても私たちは全力で手伝う。

2.帰りたいと思いたい

子供たちがまだ小さいのでなんとかなっているが、帰省したときの居場所がとにかくない。

テレビの前は子供たちのおもちゃ(昔旦那が使っていたであろう物)を出してくれるためゆっくり座るスペースがない。

持ってきた荷物もリビングに置かれるため、子供の靴下など小さいものを無くさないように気を張る。

前途したようにダイニングもスペースがギチギチなので、子供のご飯の世話がしにくい。
ダイニングテーブルの上は常に物が溢れているため、子供用のカトラリーや食器も毎回どこにあるのか探さなければならない。

私は義父母が好きなので、義父母に会いたい・孫と会わせてあげたいと素直に思う。
(大好きな息子に会わせてあげたいとも思う)

そう思うのに、いろいろ面倒で家のせいで疲れてしまうから帰りたくないと思ってしまう。(まぁみんなそうか)
義父母との関係が悪かったらどうでもいいことだ。
こんな理由で帰ることが嫌になるのが嫌なのだ。

人それぞれだと思うが、私なら
「2人で暮らしてて問題ないから良い」
「たまに来る人のために合わせてられない」
とは思わない。
誰が来ても気持ちの良い家にしておこうと努力する。
それができないなら「帰っておいで」と言う資格がないとまで思っている。

それでも帰って来いというならぜひ少し考えてほしいと思うのである。

家族の問題をしっかり解決して欲しいという私の密かな願いだ。

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