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自閉息子を育てる私が自分を「普通のワーママ」と謳う理由。

他人が他人に向けて使う「普通」という言葉は好きじゃない。
自分が自分に向けて使う「普通」という言葉は好き。

なぜなら私が、私に思う、私の普通だから。
ありのままの自分ということだから。

人には「その人なりの普通」がある。
と思っています。

それが多様性ということであり、
100人いれば100人の普通があって、それを受け入れることが
多様化の時代ということなのではないか、と。

だから私は自分を普通のワーママと形容することにしました。

といってもきっかけはTwitterなのですが
Twitterを始めて改めて私って何者なんだろう?と思ったのです。

今年の2月にTwitterを始めたのですが
多くの方のアカウント名に「名前+肩書?サブタイトル?」
のようなものが書いてあるので
私も自分というものを表してみようと思って肩書を考えてみました。

それが、結構難しくて。で、結局色々考えた結果
「何者でもないな。ただの私という働くママだな。」
という結論に落ち着きました。

で、今Twitterでは
megu/そこらへんの普通のワーママ(@megu_kh)
というアカウント名にしています。

でもこのことに関してはずーっと思っていたんですよね。

私にも他の人から見れば”普通じゃない”要素は色々あると思うし
私自身もそれらを自分のレアな経験値として捉えています。

例えば。
新卒入社5年目で倒産を経験したこと。
その後、正社員や派遣、大手も中小も経験して
巡り巡って好きな仕事ができていること。
982gの赤ちゃんを出産したこと。
自閉症スペクトラムの子どもがいること。
特に変わらず仕事もしていること。
今98%テレワークでフルフレックスで働けていること。
義両親は近くに住んでいてとても頼れるけど
実の母親は10年前に急逝したこと。

掘り起こせば色々な出来事がありますが、
それらの要素によって作られた今の私が「普通の私」なんだと思います。

なんだか哲学みたいになってきちゃいましたが・・・

「普通」という言葉って良し悪しだなーと思います。

最近の多様化の時代の中で、
普通という言葉には一方的な価値観の型にはめているイメージがあり
抵抗感を感じる人も多いと思います。

私は昔から集団意識も薄く、人は人、自分は自分というタイプでしたが
自閉症という個性の強い息子をもってからは
「普通ってなんだよ」と、より一層強く思うようになりました。

誰にとっての普通だよ、と(笑)

息子は自閉症スペクトラムで人と同じように同じことができませんが
「普通」です。だってそれが彼という人だから。

同じように私自身も「普通の私」。

私がこのnoteを始めたきっかけについて2か月前のnoteで触れたのですが
以下の3つの理由からで、
ここでも働く普通のママの姿を伝えたいと書きました。

①働く普通のママの姿を伝えたい
②超低体重で生まれた息子の成長を記したい
③書くという行為をしたい

自閉症スペクトラムの息子(と定型発達の7歳の娘)を
育てながら会社員として働いている人ことは
レアケースだと私自身思っています。

そして、発達障がい児を育てることは
明らかに定型発達の子どもを育てるよりも
親にかかる負担は精神的にも体力的にも大きい。
それは誰がなんと言おうと絶対にそうなんです。

それでも私が発達障がい児の育児と仕事の両立をしていることは
決して「普通とはちょっと違う」ということではなく
「これもひとつの普通」なんです。

マイノリティではあるけどアンノーマルではないって感じ!?
少なくとも自分ではそう思っています。

その分、私の最低限のプライドとして
発達障がいの子どもがいることを仕事の、
そして人生の言い訳にしないと決めています。

精神的物理的にどうしても苦しい時はもちろん声を上げるし
今も周りに頼りまくっています。

多様化ってそういうことなんじゃないかな。

これが私の普通。
私は何者でもなくただの私でしかない。

もちろん息子も娘も、あなたもあの人も
みんなそれぞれの普通の中で生きている。

私はそれが伝えたくて、巡り巡った結果、私は
「そこらへんにいる普通のワーママ」を謳おうということに
たどり着いたんだなと思います。

またグルグルめぐって
キャッチコピーとしての表現は変わるかもしれませんが(笑)




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