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ヨガと読書と自転車が趣味の会社員の私は、何者か? ー読書記録『メイキング』

今日は、思ったままに記事を書く練習。

いつもと文体も違うけど、実はこっちの方が書きやすかったりする。

先日、久しぶりにヨガに行ってきた。以前教室に通っていたこともあるけど、習うのは1年ちょっとぶり。昔うまくゾーンに入れていた身体も、今は硬いしなかなかリラックスできないし、習慣というのの大切さを感じる。

やっている最中は楽しくても、習慣となるとなかなか続かないのはいつものことだ。私はつくづく堕落しがちだなと思う。ダイエットの本を読んで「糖質は悪!」と知っていてもおやつをたくさん食べてしまったり、休日に二度寝したら後悔すると思っていても布団から出なかったり。

その都度、わかっているのに実行できない自分に凹んだりもする。でも、全部を「正しく」しようとするとそのうち歪みが出るのもわかるようになった。食事と運動と身支度と仕事と未来への投資を全部、毎日整えるのは、かなり器用じゃないとできないことなのだ。

私が今気にかけていられるのは、趣味の読書と、腰痛を悪化させないための適度な運動の継続がせいいっぱい。

それ以外は一旦保留にして、自分が気になった時にできるように、今は余裕を蓄えているのだと思うことにする。

大学生の頃からずっと習慣になっている、ほぼ唯一のことが読書かもしれない。

ヨガの後、ずーっと積読になっていた本とカフェに入った。

ティム・インゴルド『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』

この本のテーマは「学ぶことを学ぶ」だ。

前書きを読む限り、人の良さそうなおじさん教授を想像させる著者のインゴルド氏。人類学や考古学や芸術や建築など、世界のあらゆるものをいったん区別せず、ものづくりという一つの括りの中で全部混ぜこぜにしてしまう。それから、一つの「モノ=物質」の歩む道筋をたどりながら、何が起こっているかをよく観察していく。

インゴルド氏曰く、本を読むのではなく「本とともに読みなさい」という。この本が何かを教えてくれるというより、この本の考え方を使って自分が考えることが学びになるというのだ。

帯の格言がかっこよかったのも、この本が気になった理由のひとつだ。

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鍋は壊れても鍋?

「メイキング」というタイトルの通り、この本はものづくりを考えることで、人間について考えるようなつくりになっている。

今日読めたのは2章まで。2章ではモノ、つまり「物質」とは何かについて考える。

物質には二面性がある。

・自然から与えられた素材としての物質

・人間がそれにデザインと加工を施した物質

例えば「鍋」は、鉄やアルミといった金属であるほか、両手鍋や圧力鍋といった道具としての性質も持つ。

鍋について考えるとき、人間の生活における鍋としての役割を無視することはできない。

鍋の一生を想像して描いてみた。

鍋は金属から加工されて、両手鍋とか片手鍋といった名前がつく。その他にも新品時は「在庫」とか「新商品」といった名前になるし、壊れたら「燃えないゴミ」になる。再利用される場合は「資材」にもなりえる。またの場合は埋め立てられて、いつの日か発掘されて、「資料」として博物館に並ぶかもしれない。

考古学者コーネリアス・ホルトーフは、モノの「物質性」とは、人間たちの生活の場面ごとにさまざまな形で登録される方法であって、それ以上のものではないのだという。

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難しい言い回しだけれど、多分こういうことだ。

鍋は生まれてから死ぬまで一貫した鍋であるわけではなく、場面ごとの役割に応じて変化する。

物質の属性は、素材とか機能などの特質ではなく、痕跡の積み重ねやその歴史によって決まるというのが、本書の主張だ。

「痕跡の積み重ね」はひとことではいえない

鍋の形は作られてから土に還るまで、ずっと同じ固体ではなく、その時々の積み重ねによって名前も役割も変わる。

これは人間にも言えるのではないだろうか。

日本ではよく肩書きが重要視されると聞く。また誰かにわかりやすく伝える時に、「まとめ」とか「ひとことで」いうことが重要だという。

それでも私は、自己紹介をするときにいつも迷ってしまう。長野県に住んでいて、車を持たずに自転車生活していて、本が好きで、今は編み物も好きで、たまにヨガをしている私を、いったいひとことで何といったらいいのか。

きっと毎日表現が変わってしまう。

自分の中に一貫性を見つけられなくて悩みもした。それは、もしかしたら私に一貫性がないのではなくて、そもそも人間は一貫性がないものだということなのかもしれない。だって、鍋ですら、よく考えればひとことではいえないはずなのだ。

「自分探し」では得てして自分が見つからないのと同じように、ひとことで言える単純な自分はそう見つからない。代わりに、自分の側面が一つではないことが見つかるだけだ。

ものごとには、ひとことで表せない無数の側面があるということを私は忘れがちだ。自分の曖昧さが不安になったら、これからは自分は「痕跡の積み重ね」であると思える。

とはいえ、物質と人間は違うし、この本もまだ2章が終わったばかり。

もう少し読んでから、また記録を書こうと思う。

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