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孤独をシェアする。 〜地域の学校Vol.12

今回は、12月に実施した「ゆっこの部屋」の報告です。

この日は、とある小学生Kちゃんの話がシェアされました。

Kちゃんの文章

Kちゃんは、いわゆる不登校です。小学生ながらにそのことに悩み、学校に行かない間、「学校にいけない自分」について考え、手書きの文章に残しているのだそうです。

「家でひとりでいると、誰かとしゃべりたい。」
「親は軽い気持ちで大丈夫とかいうけど、自分はぜんぜん大丈夫じゃないと思ってる。」
「教室の他のみんなと比べて、なぜ自分が行きたくないのか。」
「いつか行きたくなるかな。」

そんなことを残しているのだと、保護者の方が教えてくれました。
それは、不登校の真っ只中にいる一人の子どもの率直な気持ちであると同時に、
きれいごとではなく、真っ直ぐに自分の感情と向き合っている最中の葛藤が読み取れました。

しかしKちゃんは、悩むばかりではありません。学校に行かない間は、文章を書くほかにも、ブッシュクラフトが趣味のお父さんと一緒に外で遊んだり、イベントのチラシを作ったり、興味のある動画を編集したりもするのだとか!
自分の感情を言葉にできることはすごいことです。しかも、やりたいことが湧き出ているKちゃんの話を聞いて、それを手伝ってあげたいと思う参加者の大人はたくさんいました。

自分と向き合うのは面倒

参加者のあみさんは、不登校の経験はないまでも、
大学時代に自分に向き合いもせずに過ごしていたことを後悔しているといいます。

あみさんは当時、友達に誘われるがまま、いつも教室の後ろのほうに座って、ヨーグルトばかり食べていたそうです。いつも後ろの席の人が、急に前の席に座ると目立つのは言わずもがなです。
ときどき興味のある授業があって、よく聞きたいと思っていても、結局、いつもあまり聞こえにくい後ろの席になりました。授業を聞き逃してしまうと、途中から参加しても意味がわからなくなり、フォローが難しい。そうした流れを振り返りながら、あみさんは「自分と向き合うのがめんどくさかったのかも」と語ります。

今はマクラメと出会い、ワークショップや人との出会いを楽しんでいます。自分の可能性をひろげることは一人だと難しいので、誰とやるかが大事だと、あみさんはいいます。

そして、いつでも話を聞いてくれるひとはたくさんいるよ、と付け加えました。

いい自分も、悪い自分もシェア。

話を聞いてくれる人の存在は、不登校の本人だけではなく、保護者にとっても必要です。
今回、Kちゃんの話をシェアしてくれた保護者の方も、自身が教育に携わる仕事をしながら、自分の子どものことが後回しになることを、どこかで負い目に感じていたと言います。

在宅することが多くなったこの一年、子どもと一緒におうちで過ごしながら得たことを二つシェアしてくれました。

1.子どものことを信頼していい。
2.自分の仕事も、すこしメリハリをつけていい。

今までは、職場で疑問に感じたことも、しきたりに合わせてきたそうです。でも、自分が疑問をもったことをがんばってやらなくてもいい、と考えるようになったといいます。
子どもは子どもで、自ら考え、やりたいことを見つけて、成長する力があります。そうした力を信頼して、時には子どもに任せる判断もありなのかもしれません。

そうした保護者のかたに、ゆっこさんは「保護者の立場としてだけでない自分の感情も、こうした場で洗いざらい話してほしい」と語りました。受け止めるほうに専念してしまうと、自分の表現ができなくなってくる。子どもを受け止めようとしすぎると、いい母親として、そうではない違う感情にふたをしてしまう。

そうしたそれぞれ葛藤には、答えがありません。
だからこそ、その時その時の感じていることを出していってほしい。それが、他の人たちの勉強にもなる、とゆっこさんは語ります。

ひとくくりに不登校といっても、ひとりひとり抱えているものも、事情も違います。
今回のKちゃんの事例は全ての不登校に当てはまるわけではありません。それでも今回のお話は、家でも子どもは学び続けられる可能性に満ちていることを教えてくれました。でも、孤独は常につきまとうのだということもまたわかりました。

ゆっこの部屋は、次回もいろんな方のお話を聞きながら考えを深めていきたいと思います。

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