衝突(しても平気という)安全性と心理的安全性

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心理的安全性が注目されている.リーダーシップ開発の観点からも非常に良いことであると思う.ただ,本来の意味をしっかり理解せずに心理的安全性というワードだけを聞くと,多くの人が石井遼介氏のいう「ユルい組織」(Edmondsonは”comfort zone”と呼んだ)を目指してしまいがちである.つまり心理的安全性を確保するために,成果指向と両立させるためのリーダーシップが必要になる道(図の右上)ではなく,成果指向を下げるイージーな方向(図の右下)を選んでしまうのである(図はEdmondson『恐れのない組織』と石井遼介『心理的安全性のつくりかた』を統合したものである).

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これではそもそも心理的安全性を重視した意味がない.宇宙船発射事故や原発事故で,事前に危険性を知っていた人がいたのに職場や組織の心理的安全性が確保されていないために、それを口にすることができなかったのが事故の原因の一つであり,それに類することは日常的に企業でも学校でも起きているのではないかというのが心理的安全性の議論のもともとの問題意識なのである.

成果指向が高いときには,心理的安全性は,成果を上げるためには異論・反論を歓迎することによって確保される.異論・反論によって防げたはずの事故を防ぎ,他の誰も思いつかなかったイノベーションを実現することが初めて可能になると考えられるからである(右上の「学習する職場」).異論・反論は,聴く側にとってはしばしば不快である.その不快さを我慢することで合意するのが心理的安全性の基礎になる.衝突しても平気,衝突を最初から避けていては成果は生まれないからである.

自動車の安全性を議論するときに衝突安全性という概念がある.実際に自動車同士や,鉄の障害物に自動車を正面から,あるいは斜めから衝突(オフセット・クラッシュ)させたり横転させて,中に乗っているダミー人形がどのくらい物理的に損傷を受けるかテストする.20世紀後半の自動車の安全性の進化はこのクラッシュテストによる衝突安全性に集中していて,消費者団体による安全性レポートなどもこれを特に重視していた.例えば,ボルボが最初に開発した三点式ベルト.これは前方から衝突したときに運転席や助手席の乗員がフロントガラスに頭を突っ込まないように締め付ける.次にメルセデス・ベンツが始めたクラッシャブルゾーン.衝突したときにキャビン(乗員の座っているスペース)より前にフロントやリアの部分がまっさきに潰れてキャビンの変形を和らげる.また,ガソリンエンジンやディーゼルエンジンは車体のなかで最も重く,しかも大きいので,前方から衝突したとき衝撃でエンジンユニットが運転席に向かって突進してくるとステアリング(ハンドル)でたとえば運転者が胸部を強打してしまう.これを防ぐために予めエンジンユニットをピアノ線で吊るしておいて衝突の衝撃を感知するとエンジンが下方に落下するというアウディのプロコン・テン.さらに,衝突の衝撃を感知して風船が膨らんで乗員の上体を前方や左右から保護するエアバッグ.これらのイノベーションはどれも衝突しても怪我が少なくて済む,という工夫である.実は心理的安全性は大きく分けてこれに近い.

対照的なのは衝突しそうになると自動的にブレーキがかかったり進路変更をして,衝突を未然に防ぐ仕組みで,これは積極的安全性と呼ばれることもある.消極的と積極的といえば積極的なほうがいいという二分法になることが多いが,心理的安全性のメタファーに使うならばまさにその逆で,衝突しても安全だ,という衝突安全性のほうが適切である.心理的安全性を解説するときには衝突安全性にたとえるほうがいいのではないか.そうしないと,衝突しないようにするには?という方向(ユルい組織やサムい組織)に行ってしまうからである.

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