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食い生きること

早いものでもう12月がやって来る。
夜半、近くのコンビニまで出かけると空気が普通に冷たかった。
冬がやって来たって感じである。
これから増していくこんな空気の冷たさが私に中学生の頃を思い出させる。

愛知県豊橋市に住んでいた。
太平洋岸式気候で冬は雲一つない晴天が続き、渥美半島の太平洋に面する表浜はずっと砂浜の続く知る人間には人気のスポットだった。

その頃はふと思いつくと自転車にまたがっていた。
ジーパンの尻に文庫本の厚みを感じながらひたすらペダルを漕ぐ。
豊橋の街中を抜けてしばらくすれば見渡す限りのキャベツ畑である。
そこから見えるのは地平線、キャベツ畑の地平線が見える。
坂を下れば表浜が広がる。

 私が行く平日の午後に人はいない。
しばらく裸足で波打ち際を歩き、風をしのげて陽の当たるテトラポットの陰を探す。
それから小一時間文庫本を開く。
夕方に近づき徐々に寒さは増してくる。
テトラポットに残る陽の温かさに貼り付き帰らねばならぬ時間と抗った。

それから帰路につくのである。
母が仕事から帰り、遅い夕食の支度を始める頃帰る。
スマホも無ければ携帯電話も無い。
母は私がどこに行っていたのか、何をしていたかも知らない。
聞かれる事もなければ詮索される事も無かった。
兄の具合が悪くなければそんなふうに山に、海に行き一人でいる時間があった。

それから高校を卒業して私は魚市場で働き、東京で学生生活を送って今に至っている。
思い起こすと大学卒業以降ずっとあんな時間は無かったように思う。
何もしないボーッとした時間が今の私の何かを作り上げているように思う。
時代は変わりその頃よりも時間は早く進むようにもなり、ボーッとする時間に罪悪感さえ覚える。

『ねばならない』事をするために考える事と『ボーッとしている』間に考える事は違う。
ただ生きるためにする料理と楽しみ食べるためにする料理との違い、作業と創作との違いのように思う。

生きるためには食わねばならぬ。
さりとて生きるは身体ばかりじゃない。
心を遊ばせ心を育てるために私たちは食わねばならぬ。

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