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「合気道の彼」の弟

以前、ここで紹介した小学6年生だった彼は、今は晴れて目標の中学に入学して今しか享受できないピカピカの時間のなかを生きているそうである。
そして彼には弟がいる。二つ年下の小学5年生の弟がいる。毎週日曜日、この暑さのなか汗をびっしょりかき自転車を漕いでやって来る。何を思いこの道場にやって来るのか、聞いてもその返事をもらったことは無い。大人たちに混ざり一緒に稽古をしている。通常だと子どもと大人を分けて稽古させる道場が多いが、私はそんな必要は無いと思っている。もう高学年ともなれば、彼のように自覚を持ち自身の意志で稽古にやって来る子等がほとんどで、ふわふわした大人よりも気合が入っていたりする。彼もそんな一人なのである。

先週、ふと気がつくと彼の左手の甲に「勝」と朱のマジックで書かれていた。「自分で書いたのか」と聞けば「うん」と言う。「友達の名前か」と問えば「違う」と答える。「右手に負と書けよ」と茶化すと黙ってニコニコ笑っている。最近目つきが変わってきていたが、何かのスイッチが入ったように思えた。私が毎週「兄貴は何をやってるんだ」と聞いている。すると「今日は友達の家に行っている」「今日は友達と映画を観に行っている」と謳歌する新学生生活の日曜日を教えてくれる。弟の彼はそんな兄貴を傍目にし、汗をかきながらも自転車でこの道場に向かってくるのだ。

人の成長において、自分の親ではない知り合いのオッチャンの存在が隠し味の調味料のような場合がある。時に、親に話することの無い大人とのやり取りが子どもを大人に成長させていると思う。私にもそんな経験があった

彼も中学受験の時までの稽古だと思う。それでいい。それまでとことん、納得できるまでやってみたらいいと思う。この先、様子を見ながら難しいこと、厳しいことも伝えていこうと思っている。「勝」は自身に向かってであって、周囲に対してじゃないことを心と身体で考えることができるようになってもらいたい。そして世の中には「負」もあることも知ってもらいたい。たまには負けてみるのもいいもので、立場を変えて世の中を見てやるくらいの気持ちを持てるような男に成長することをこそっと期待したい。

私は子ども達の記憶の層のほんの隙間にでも残って、今のデジタル社会では育たぬ昭和の心を育てていきたい。
こんな彼ら彼女らに私はこの年齢になってもなお成長させてもらえているように思っている。



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