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カレーなる時を求めて

なんだか忙しく毎日が続く、仕事と合気道の稽古、やっているのはそれぐらい、なのになんだか時間が無い。
こんな時の人間に「いい考え」なんて浮かぶはずはない。
でもそう思っている私は凡人なのであろう。
きっと一流の人間はどんなに多忙であろうと、どんな辛苦の中にいようとも「ものを考える」時間は別なのであろう。
そんな切り替えの力を私が過去に出会った何人かの上司も持っていた。
黒を白だと言い、間違いなく白だと言い切り、そのうち私にも白く見えてきた。たぶんそんな力が人の能力の違いにもなるのかも知れない。

凝り固まった頭をほぐすために私は一人で酒を飲む。誰とも話さず一人酒を飲み、飲み過ぎずに一人ボッとする時がある。こんな時間は夜ばかりじゃない。夜仕事すれば朝から開いてる店で酒を飲む。大阪はこんな男に寛容でいくつか行く店が決まっている。

若い頃には朝から酒を飲む人間の気持ちが分からなかった。じゃあ、今分かったかというとたぶんそうじゃない。分かったのはいろんな人生があるということだけである。だから朝からでも酒を飲む人間がいてもいいのである。

考えようとする気持ちを一たび忘れてしまえば、次にはいろんな思いが浮かんでくるものである。行き詰まってしまった今を一度振り出しに戻すのである。

今の悩みが私の首を絞めることは無い。今出ぬアイデアが明日の私の飯を奪うことは無い。だから急ぐ必要はないのだが、時々気持ちが急く時がある。
そんな時に私は厨房に立つことがある。
食べることが好きである。
もともと料理は嫌いじゃないのだが、こんな時は腹が減っていなくても何かを作るのである。
そして、それも時を選ぶことは無い。

note で見つけたカレー。この世で一番美味なるものはカレーと餃子だと、私の脳と心はそう申す。そして深夜、一人厨房に立つのである。
『Goku流豆腐カレー』は美味かった。カレーの生き方を邪魔することなく豆腐はコクになっているように思う。食べ盛りのお子さんのいる家庭ならばカレーの量のカサ増しにもなっていいのではないかと思う。我々老年には必要な良質なタンパク質を摂ることも出来る。

「ああ美味い」味見をするまで45分、出回り始めた夏の野菜を無心でミジンに刻み、挽き肉が無いから豚細切れを包丁で叩き、ミジンの玉ネギを強火で夏色に炒める。即席挽き肉、ニンジン、ピーマン、ナスビ、そしてトマト。次々投入して炒め、最後に豆腐。木綿を買ったつもりが絹だった。老眼鏡をかける歳になって時々間違える。どうせ潰れる豆腐である。最初からかき混ぜベラで潰して煮込む。たぶん、木綿豆腐の方が崩れた時の表面積が大きいのではないかと思う。水は使わず出来上がり。市販のカレールーには出来れば「ジャワ中辛」をベースに2種類で!

ご飯は炊きたてじゃなきゃならない。この時間に合わせて炊きあがったホカホカのご飯にアツアツのカレーをかけて口に運ぶのである。豆腐は自分を主張することなく、カレーの仲間となってそこにいた。目を瞑って食べたならばきっと彼の存在に気付かないだろう。普段よりコクの増した『Goku流豆腐カレー』は私に1時間ほどの華麗なる時を与えてくれた。

気がつけば私の脳と心はリセットされて、私の心には爽やかな夏風が吹き込んでいた。
生きるための「食の力」は計り知れない。両親、兄の我が実家。病人、障害者ばかりのすさんだ空気に「喝」を入れたのは私ではなく、いつも私の作った「食」だったのである。
「ああ、カレーよカレー。そなたの力を私に分けておくれ。」いつもそう思い私は実家の厨房に一人立った。


生きる事に悩みは必須で、悩みなく生きる人間はいないでしょう。
たまにはすべてを忘れて心と脳に爽やかなこれからの夏風を吹き込んでやりたいものですね。
そのやり方、方法は人によってさまざまですね。
私は「料理」です。さて、あなたの「それ」は?


Gokuさんは私の頭の中ではなぜか「和尚」、知徳のある「Goku和尚」です。
植物、動物、妻を愛し、日々考えを飛ばしながら、余計を語らず生きるGoku和尚を尊敬します。
今日も愛犬ごくうを従えて夕陽に向かって腰に手を当て「わっはっは」と笑うGoku和尚の後ろ姿が私の心の中にはあります。


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