文房具マイラブ
話す相手によってはくだらん話と一蹴されてしまいそうな話をこれからします。
私が関西のある地方都市に縁あって住むようになり、現在で15年ほど経ちます。関西は社会人になった時に希望も出さないのに赴任させられた地です。その後、ずっと北海道、九州に転勤希望を出していましたが、受け入れられることなく私はその会社を辞めてしまいました。それから関西の企業に就職してしまいました。だからずっと関西で生活しています。京都、奈良、大阪市内と居を移し、現在は大阪南部の地方都市にいます。どこに住む時も近くに本屋、もしくは図書館のある場所を意識していました。理想は蔵書を持たない生活だったのです。しかし、その蔵書無しは実現していません。ただ今回の居では徒歩圏に図書館があり、病院、スーパー、駅も徒歩圏です。住んでる家は付き合いのあった取引先から話があり、その業務用の建物を「合気道の道場に使ったらどうだ」と勧められた物件でした。気が付けば、それは私が以前耐震改修の設計の営業を行なった物件でした。築50年の木造でしたが、改修してまだ10年は経っていませんでした。
そこに手を加え、移って早いもので4年が過ぎました。ここからの至近距離に小学校があります。朝夕の登下校の子ども等のにぎやかさが気になる方もいらっしゃるでしょうが、私は気にはなりません。子どもはそれで当り前で、静かな朝夕であれば逆に気になります。
この小学校の向こう側、我が家から小学校を挟んだちょうど反対側に小さな文具店があります。私たちがまだ小学生、中学生をやらさせられていた頃、どこの学校にも、ごく近所に文房具店があったと思います。近所にそんな文具店があるのです。ただ、少学校の反対側はめったに通らぬ場所なので、存在は知っていましたが、入ったことはありませんでした。
そこにたまたま昨日入ったのです。東向きの明るい店内は時代を感じはさせますが、掃除が行き届き埃臭さはまったくなく、年かさの文具たちはこざっぱりと陳列されていました。80歳は越えているであろう店主の男性が私の声を聞き出てきました。必要な文具があって入ったのではないのですが、なぜか惹かれるように入ったのだとご主人にはっきり言いました。
もうこんな店をやる時代じゃないが、止めれぬまま続けているとおっしゃっていました。私でお終いだとも付け加えていました。
ひと昔前の子ども向けの文具も並んでおり、子ども達がワイワイと店内でそんな文具を物色することもあったのであろうと想像できる店内でした。
こんなの使ったことあるなぁ、とシャープペンシルを手にし、ご主人に所望しました。私の記憶では消費税のまだ無い時代、定価は100円だったと思います。「50円でいいですよ」と言われ、2本手にして店を出ました。
たくさんの文房具が子ども達や先生達の手に渡ることもなく、いずれは処分されてしまうのかと思うと、寂しい気持ちになりました。
往年のご主人は若くはつらつとし、子ども達を相手にたぶん若い奥さんとともに忙しい毎日の切り盛りをしていたに違いないと5坪ほどの店内に立って想像しました。
どんな物にも魂が宿ると思います。妖怪やつくも神のことを言いたいのではないのです。文房具を含めてどんな物でも必要とする人間がいて、その人間のために思いを込めて作る人がいます。そんな思いが魂となって誰かに使ってもらおうと何十年もの間、店主と一緒に待っていたのです。そしていずれは店主が先にいなくなってしまいます。
じゃあ、私が全部を買い求めればいいのかと言うと、それは違っています。私には2本で精一杯なのです。なぜなら彼らを使ってやらねばならないからです。この2本を持ち歩いて使い、本来あるべき姿で彼らの人生を一度でも送らせてやりたいのです。
百円のシャープペンシルでも十万円の万年筆でも私には同じです。使われるために彼らはこの世にいます。その彼らの目的のために、今日もまたシャーペンを持ち、万年筆を持ち、紙に向かってガシガシと何かを書いています。
30年ほど前にあちらこちらの商店街の古い文房具屋で古い万年筆を何本か買いました。
その時に苦い経験をしたことがあります。