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熱燗が好きなはなし


弥生三月も半ば、熱燗の時期でもないだろうが、と思われるかも知れない。
しかし、熱燗に季節は無い、四季折々に熱燗の味があり、人生がある。

50歳半ばを過ぎて、サラリーマンを辞めて気まぐれに飲み屋を始めた。

サラリーマンにはほとほと疲れた。
つくづく向かぬと三十年間続けて答えが出せた。

大阪は阿部野の飲み屋街の場末、古いビルの一階の端っこに遠慮がちに出した店は立ち飲み屋、自分で言うのもなんだが落ち着いた雰囲気の自分でも客になりたい店であった。

私が好きな奈良の美味い酒を置いた。
個人的に夏でも熱燗がいい、電子レンジではなく、いつも沸かしてある湯につけての湯煎である。
冬はビルのオーナーからは禁じられていた石油ストーブの上に雪見鍋を置いてそこで燗をつけた。

昭和の風情を残す店を目指した。

酒は雰囲気で飲みたい。
仕事で、プライベートで誰でも辛いことや嫌なことはある。
酒に逃げるわけではないが癒しに来て欲しかった。
そんな時はやっぱり昭和の居酒屋である。
美味い酒はもちろんのこと美味しい肴も暖かな料理も欲しい。

老若男女の様々なお客様が通過して行った。
そうである、飲み屋は通過地点なのだ。
決してターミナルであってはならない。
人の目的は生きることにある。
辛いことや嫌なことは店に置いていけばいい。
そして明日へのエネルギーを蓄えて行けばいい。

サラリーマン時代の自分の思いの詰まった店であった。
冒頭に気まぐれで始めた書いたが、学生時代からずっとやってみたかった飲み屋のオヤジだった。
良い経験が出来ただけではすまされない私の我がままであったが、その辛さも楽しさも遣り甲斐もやってみなければ分からないやった人間でなければ語れないものである。
熱々の熱燗を片手に一人残ったお客さんと差しつ差されつつ人生を語ったあの時間が夢のようである。
熱燗に夢があり、人生がある。
酒ってのは本来そういう楽しくポジティブなものだと思っている。

年がら年中熱燗では季節感に欠けると言われる方がいるかも知れない。
そんな方には一度一年を通して熱燗と付き合ってもらいたい。
春夏秋冬の熱燗の味がある。
四季を通して美味い熱燗の飲める時期は、その時期その時期ににやって来ることが分かる。
身と心を解きほぐす全身で味わう熱燗は寒さの冬ばかりではないことを。

本当の味がわかると思う。

是非、熱燗で四季を感じて欲しい。

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