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私の好きな世界、でも嫌いな世界

時々こちらでも登場しているメダカの世界、毎回しばらくこの三槽に目を落としから合気道の稽古に向かっている。

合気道の道場にお借りしているスタジオの一階にある石材店のメダカ達の家である。一番左端の水槽には生まれたばかりの稚魚、真ん中の水槽にはもう少し育ったヤツら、そして右側の大きな水槽に成長したメダカ達が泳いでいる。ここの石材店の優しそうな親父さんが共食いしないように分けているのだ。彼ら、彼女らの姿に心癒されていつも稽古に向かっている。

でもどうしてメダカ達は共食いをするのであろう。過去に厳しい自然のなかを生きて来た記憶がDNAに組み込まれているからなのであろうか。最終的には『種の保存』をかけての行為として本能のなかにきつく刷り込まれているものなのだろうか。

子が、ある年齢に達したら親は子を外に放り出すべきなんだろう。
どんな子どもであろうとも親は子を外に放り出すべきなんだろうと最近よく思う。メダカの共食いにならぬよう外に子を放り出すべきだ。そう思うのである。

もちろん人間の親であれば子を食うことは無いだろう。でも自己満足の世界のなかで子を縛り付けることと食らうことと何が違おう。
我が子を抱え込み強く自身の責任と感じることも親として人間としての本能であって、見栄や体裁も含めてその本能の一部なのであろうか。

できるわけはない。
きっとそのうち倒れてしまうと私は大河の向こうからいつも貴方を見つめていた。
そのすべてが愛ならばまだいい、でも許されることなのだろうかと疑問に思っていた。
ならばやれるところまでやって倒れたらいい。
そうしたら私が助け起こし貴方の投げ出したボールは私が拾ってやる。

支えれるわけはない。
そう、もう一人では支え続けることが出来なかったと早く気付いて欲しかった。
そして楽になって欲しかったのである。
一度きりの人生を誰かの犠牲になどになって生きるものじゃない。
たとえそれが貴方の息子であろうとも、娘であろうと親兄弟であろうともだ。

もういい、正直に生きるべきだ。
捨てて欲しい。見栄も体裁もプライドさえも、貴方は神でも仏でもない。
ただの人間なんだと気付いて欲しかった。
そして本来の自分の道を歩いて欲しかった。
やりたいことがあったはずだもう一度思い出して欲しかった。

たった一度の人生を思いに任せず生きれぬ辛さを感じていただろう。
そしてそれを感じてそばで見て、なす術もなくそばでじっと見て生きる辛さを抱える人間がいる。

「この世に出て来たあかつきにゃ、死ぬまで生きるしかないんだ」と聞いたそばで泣けてきた。
そんな覚悟を持つ男を一人で旅立たせてやる責任を、親や兄弟は感じなければならないのである。

共食いはしないが人間の方がタチが悪い。
自分の都合が一番である。
まずは自分の生を考える。
見栄や体裁が先に走る。
もっと素直になったらいい。
自分の思いで生きたらいい。
誰も責めはしないのだから。
貴方の住むこの世界は共食いする世界よりもずっと素敵な世界だときっと気付けるはずだから。


気が付けば5槽に増えていた。やはり、ややこしくするのは人間なんだろう。

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