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人生の先輩との別れ、一期一会ということ

ごくまれに、亡くなった知人のことをこちらで記述しています。
いつもそこにいた方、そこに行けば必ずお会いできる方がもうそこにはいらっしゃらず、お会いしたくてもお会い出来ないことに強く心を動かされ、私自身の心の整理をしたり落ち着けたりするためにここに文章をしたためていました。

人の寿命って何だろうと考えます。天に「そこまで生きてもいいよ」って定められるのが寿命であれば、特に死に恐れを感じたり、悲しみを感じその死を受け入れることが出来なかったりすることは無いはずなのですが、決してそうではないと思います。亡くなったその方に対しての記憶と感情があり、亡くなった際の私の環境、受け入れる態勢のようなものがあり、何にも増して辛いのはその訪れが唐突であったりするからじゃないでしょうか。「何年何月何日何時何分何秒に宮島が死ぬ」と分かっていれば、「やれやれ、やっと来たか」と言いながら私の気の良い知人たちは酒宴を開き私を送ってくれるに違いありません。終わってしまったものではなく、終えるものだという前提があればそこに涙を流す奴はいたとしても極めて少数で笑い声に満ちていることと思います。

唐突な別れに加えて、訃報を聞くタイミングによっても受け取り方は変わるように思います。
心の準備も出来てはいないまま、やらねばならぬことを控えるタイミングに訃報を受けて動揺してしまったことがごく最近ありました。
このゴールデンウイークの最中に合気道の演武大会がありました。大阪城にある武道場の修道館に着き、いきなり訃報は飛び込んで来ました。私より二十年近く年上の人生の先輩です。現役で稽古を続けていました。もともと心臓が丈夫ではなかったそうです。検査入院してそのまま帰らぬ人となったというのです。入院直前まで稽古をしていたとも聞きました。世で言う平均寿命に達した方ではありませんでした。その呆気なさに驚きました。

大阪で教職に就かれ、腰痛を良くするために合気道を始めたとお聞きしたことがあります。教員生活とともの合気道人生、合気道に生きがいを感じながらリタイア後の日々を送り、時には奈良まで万葉集の勉強会に出かけ、京都で趣味の詩吟の稽古もされていました。仕事を続けながら合気道の稽古を続けました。迷いのある教え子も合気の道に誘い巻き込み、子育てをとうに終えたその女性も未だに稽古を続けています。
私が以前営んでいた立ち飲み屋の近くにお住まいがあり、一滴も酒が飲めないのに差し入れを持って何度か立ち寄ってくれました。毎日のウォーキングが日課で私が金曜の夕方道場に向かい阿倍野の街を歩いていると何度か声をかけてくれました。存在感が強い人ではありませんでした。でもいらっしゃるとその場が和むような人の好い優しい方でした。

寿命が尽きてこの世からいなくなることの意味を考えます。
血縁ではない赤の他人がこの世から居なくなってしまいどうして私の感情が動くのか、生涯のうちに数えるほどしか会うことのない血縁の葬儀に何度も出て来ましたがそれに心は動くことはありませんでした。

ごくごく当たり前のことを言いますが、生前どれだけ関わり、感情を動かしたかではないかと思います。それは一緒にいた時間の長短ではなく、心の関わりの深浅なのだろうと思います。
喜怒哀楽以外の私が備える感情を動かすために時々私の周りから人が消えていくのではないかと思います。その感情がなんだと言われても上手く表現できない感情です。でもそれは使わずに風化させて無くしてはいけない感情のように思います。だからふと、唐突に人の死がやって来るのではないかと思います。
死んだ人間の供養は思い出してやることだと、高校時代の親友と呼べる兄弟のような男が事故死した時に坊主が言っていた言葉はそれと近いように思います。

死んだ人間を思うことと生きる人間を愛することは同じ種類の感情なのではないだろかと思います。一期一会という言葉があまり好きではありません。そんなことを考え日々を送っていたら私は身が持たないからです。でも少し考えを変えようかと思います。次にいつ会えるかわからない相手、ひょっとしたらそれが今生の別れとなるかも知れないその相手にその場限りと思い、考え話をしたいと思います。

最近、初めて出会った方やすれ違った方の顔を思い浮かべます。二度と会うことは無いのかも知れませんが、時々思い出そうと思います。
もう残り少なくなってきた人生だからそんなことも出来るんじゃないかな、と思っています。
三か月前に先に逝った三毛猫ブウニャンを思い出します。
ともに気持ちを交わすことが出来たならば動物も人間も変わりはありません。

しばらくは私の『ロス』は続きそうです。

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