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夏の始まりのきおく

令和3年7月11日日曜日、大阪の郡部で仕事を終え、朝を迎えた。
前日の雨は上がり、蝉の鳴き声が聞こえる。
まだ梅雨明けは先であろうに乾いた空気もそれを感じさせる。

早いものであと二週間もせぬうちに東京オリンピック・パラリンピックが開催されるらしい。

子どもたちには楽しみの夏休みはいつも通りにやって来るのであろうか。
これまでの流行り病への対応の変則授業でいつのも夏休みとは違うのだろうか。
私にとって7月20日は特別だった。
とにかく夏休みは7月20日に始まるものであった。
そんな思いをこの note にやって来たばかりの頃に書いた記事を下記に引用する。

この海水浴の時ばかりは母の作る大きな塩だけのおむすびが美味かった。
疲れた身体に心地よい塩辛さだったのだ。

少年の頃 海の日 7月20日 青い空に白い入道雲そして広がる海、夏休みの始まりである。

買ったばかりの父の軽ワゴンに家族四人で乗り込み海水浴に行った。
愛知県豊橋市は渥美半島の付け根、伊良湖岬に行く途中にある。

半島の外側は太平洋、波が荒く遊泳禁止の外海では両親には内緒で悪友と泳いだ。
白くどこまでも続く太平洋岸の砂浜の行き着く先は島崎藤村のうたった『椰子の実』の恋路ヶ浜である。
この歌に心打たれるのはまだまだ先である。

そんな外海とは対照的に内海は静か過ぎるくらい静かだ。
国道から脇道に入って松の林を抜けると小さな入江が目に入る。
そこに臨時の海水浴場があった。

両親の監視の下、障がいを持つ兄と浮輪につかまり日がな一日クラゲのように漂った。
そして昼は塩辛い母の作った丸く大きな塩むすびを食べた。

それから兄は木陰で昼寝、私はまたクラゲになった。

一日良い子でいた。

父母は夏休み初日に親としての義務を果たし、次の日からは毎日働きに出た。

私は兄とまだクーラーなど無いアパートで休みの間を過ごした。
はっきりしない漠然とした不安を抱え本ばかり読んでいた。

夏の日、夏休みが始まるとあの時の気持ちが心の底から湧き上がってくる。
青い空、白い入道雲とは対照的なモノトーンなあの部屋の灰色が心に広がる。

こんな記憶しかないのに夏休みはうれしかった。
とりあえず学校に行かなくてよいのがうれしかった。
そして時折母の作る炊き立ての熱いご飯に味噌を塗りつけた味噌むすびも美味かった。

職業婦人の母は毎日定時に出かけた。
兄と二人残されたアパートには塩か味噌の握り飯と小遣いの20円、そして静寂だけが置いていかれた。

夏休みの始まる私の記憶である。

仕事を終えて阿倍野まで合気道の稽古に行った。
そして帰りに久しぶりに一人立ち飲み屋に寄った。
そこには変わらぬ日常が戻っていた。
まだまだ制限はあるものの緊張する店の人間と笑顔の客がいた。
このまま何事もなくずっとこんな当たり前の日常が続いてくれたらいいと心から思った。

令和3年7月11日日曜日、肌を刺す心地よい日差しは今年の夏の到来を私に告げた。

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