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京都、そして大阪へ

昨日の午後、JR京都駅烏丸口に久しぶりに立った。立ったと言っても職場の定期検診があり京都駅前の健診センターに行ったのである。労働安全衛生法で夜勤勤務者には年二回の健康診断が義務付けられている。この三年間、週三回の夜勤を続けている。私の健康を心配してくれる方が周りに多いが、この週三回という決して酒を飲んではならぬ日が出来たことによって健康が保たれているような気がしている。それまでも健康診断の結果で異常値は無かったが、積年のストレスと飲酒によってそろそろ身体に異変が起きてもおかしくない時期だと思っていた。だからこの三年間は来るべくして来たある意味人生における修行の一つであったと思っている。この三年間で完全に酒の飲み方は変わり生活は変わった。
京都での滞在時間は二時間で大阪に移動した。

余談ではあるが、ここ京都駅前のこのタワーホテルには以前は大きな風呂があった。朝からやっていた。まだ若い営業マン時代の二日酔いの朝、仕事の途中に酒を抜きに入ったことが何回かある。ここでも東京駅八重洲口にあった大浴場であったように同性に近くまで接近されたことがある。その時もポカリ、と湯の色を変えて出てきたことがある。普通の生活を送る人間が入ることの無い時間帯の大浴場にはそんな種類の人間がどうもチャンスを伺い潜んでいるようである。
このタワーホテルの大浴場はコロナを理由に二年ほど前閉鎖している。

大阪では二十年ほど付き合いをしている不動産業を営む先輩お二人と約束をしていた。都市銀行の子会社の不動産会社から独立をされている。ずいぶん難しいことも含めて公私ともに世話になって来た方々である。まだまだ新しい仕事に対しての意欲はお持ちであるがもういつ引退されてもおかしくない年齢のお二人である。昔の話と今の話を交錯して聞き心斎橋の夜は更けていった。

京都駅前も心斎橋の夜も多くの旅行者がスーツケースを引っ張り歩き、もう以前の日常に戻っていた。心斎橋からJR難波駅までなるべく人の歩かない道を選んで帰った。数年前の浚渫工事で少しきれいになった道頓堀川を久しぶりにながめて帰った。大阪湾に続く尻無川や高校時代に読んだ宮本輝の「泥の河」を思い安治川あたりを歩いたことを思い出した。
私が大阪らしく思う大阪の顔はここらへんなのである。御堂筋を歩くよりもここらへんを歩く方が落ち着くのである。
気が付けば長く大阪で生きて来た。でもまだほんの一部しか知らないのである。この先大阪をどこまで知るのであろうか。それを知るのはたぶん私なんだということを私は知っているのである。

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