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週末、雑感
いつもの時間が流れることに感謝している。
日曜の朝、仕事を終えて、うつむき加減にスマホに向かう人ばかりを乗せる電車に乗って合気道の稽古に向かう。
時々、意識せずに無理をすることがある。
やらねばならぬことが重なり、この歳にしてはかなりの睡眠不足の一週間だった。
なんでこんなにしんどいのだろう、振り返って寝ていないことに気がつく。
いつもこんな感じである。
そんな時は酒も飲んでない、飲んでる余裕がない。
でも飯は食う、食わねば死んでしまうことは無いだろうが戦闘能力は確実に落ちる。
熱いメシと熱い味噌汁をかき込み、熱いコーヒーを手にして自分の部屋に戻る。
10年前に感じなかった体力と耐力の衰えを感じる。
60歳以上が予備役対象から除外されていたのがまだ頭のなかをクルクル回る。
おかしな若者だった。
20歳、上京する時にフランス大使館の裏口に行くと傭兵部隊への門戸が開かれる、なんて都市伝説みたいのを真剣に信じていた。
でも、フランス大使館に行ったことも無いし、裏口があるのかさえ疑問である。
子どもだった私の頭なりに真剣に人生を考えていた時期でもあった。
ある意味、自暴自棄でもあったんだと思う。
自身の人生を思うように進む勇気のない自分と環境を疎んでいた。
毎晩浴びるように酒を飲んだ。
浴びるように酒を飲む、よくある表現だがこの頃の私の場合、生ビールを当時流行りの大ジョッキで2,3杯、それから日本酒ならば1升、ウイスキーならばボトル1本くらいかそれ以上、学生時代から社会人になっても、
先輩に呑ませてもらうことが多かった。
それ以上にエンゲル係数の高い時代だった。
合気道に出会うべくして出会ったように思う。
今、この世に生きているのも合気道との出会いである。
やった人間にしか分からない、見た目では分からない強さと難しさがそこにはある。
合気道を作った植芝盛平という方を純粋に尊敬する。
身体と頭と心で尊敬する。
そんな人は多分私の今回の生涯においてこの植芝盛平と恩師市橋紀彦だけであろう。
あと10年、20年生きてそのあとまた生まれ変わる時に私も誰かにそんなふうに思われてみたい。
まだ疲れた頭でそんなことを考えながら机に向かっている。
こんなことを考えながら私の人生は終わっていくのであろう。
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