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ゴールデンウイークに考えた

世はゴールデンウイークに突入。私はいろいろあって一週間前から先にまとまった休みをとり、うだうだと片付けごとをしながら毎日を送っていた。
考えてみればこれまでこんなに長く休みらしい時間を過ごしたことはなかった。休みという名ばかりの会社に行かない時間を過ごすばかりであった。そしてそんな時には必ず仕事を抱えて帰って来ていた。

『休み』ってのは、生きるための労働から離れて心身ともに休ませるためにあるのであろうが、家庭の中での持ち場があったり役目があったりしてなかなかそういかないのが誰もの日常であろう。
子は母に起こされるまで布団の中でまどろみ、母は台所に立ち鼻歌まじりに朝食の仕度を行う。父はお気楽に朝から猫の相手をしながら新聞を読みテレビを観て三度の食事を待てばよい。そんな『休み』が一般的な幸せな家庭の風景にも思えるがどうなのであろう。それはもうひと昔前のことなのであろうか。

子は父母がしなかった努力を押し付けられ進学前提の勉学があり塾があり、男女平等の現代にありながら母は家族がいる限り家事にゴールデンウイークなどあり得ず、眉間に皺寄せて包丁を握る。朝からそんな戦場のような家にいて父は何をすればよかろうか。開き直って朝から一升瓶を横に置き、片手で猫を撫でながら冷酒をあおって新聞を隅から読んでいく。
そんな勇気のある父はそうたくさんはいないだろう。

世の中が変われば当然価値観も変わっていく。何が楽しいのかそれは個人によって違って当たり前であろう。ひと昔前までは女性が主役だった台所に立つことを私は苦に感じたことが無い。だから時間があれば私が料理の担当である。血の繋がりの有る無しは関係無く家族として一つ屋根の下に暮らすのであればやれる人間がやらねばならぬことをすればよい、そう思って生活している。

どんなに忙しかろうと三食の食事を欠かすことはまず無い。たいてい健康のことも考えて食事を摂る。外食も少なくはないが基本的には家で食事をする事が好きである。この一週間もいろんなものを口に運んだ。季節が移りつつあるこの時期の食材は楽しい。山のもの、海のもの、珍しい食材を見つけて考えて調理するのが楽しい。普段の時間、仕事するよりも合気道の稽古をするよりも読書に勤しむ時間よりも楽しい時間なのである。

でも、この先、こんなことは考えない時間がやって来るのであろうか。
完全に隠居を決め込み仕事を辞め、外部との接触を極限に減らしていき、日がな一日をぼんやりと過ごす時間が来るのであろうか。
三度のメシはそれほど食いたいとは思わなくなり、酒は多分美味くはなくなるのであろう。
本を読み進めるスピードは次第に落ちて行き、何を考えるでもない物思いに耽る時間が増えてくるかも知れない。
それこそ猫がそばにいてくれなければ頭がおかしくなってしまうかも知れない。

「宮島君、眠る時間を惜しんで働きなさい。そのうち寝たいだけ寝ることが出来る時が来るから。」と言う経営者が昔いた。
その会社はCMにテンガロンハットをかぶったハリウッド俳優を使い、ひげ剃り後のアゴを撫でさせ「ウ〜ン、、、」と呟かせ独自路線の経営を成功させた。
そしてその方は今は永遠の眠りにつき、寝たいだけ寝ている。

私は仕事の虫ではない。ただ、仕事は好きではないが嫌いではない。適度なストレスに打ち勝ちそのあとやって来る安堵や達成感に至福を感じる。
過度なストレスとの同居があまりに多く、緊張と緊張の途切れる境が分からない時期が長かった。
それを通り過ぎて今は何をやっていても楽しく過ごすことが出来るのである。
過ぎたるはなお及ばざるが如し、と言う。でもこの『過ぎたる』はやってみなけりゃ分からないし、個人のキャパでも変わるであろう。だから私は一度はとことんやらなければならないと思っている。
それが介護のような出来るならば避けて通りたい事、やった後に何も残らないのではと思う事も、やってみれば実はとても大切なことじゃないかと思えるのである。

実は何をやってもやることに意味はある。
だからなんでもとことんやるべきだと思うのである。

値段は高いが時々魚が食べたい。
そろそろ冷やし中華の季節がやって来た。
麺はどこにいったやら。
そして、ネオンは私を呼んでいた。
ワインも飲み、
たまにはカラダに悪そうなものも美味しく食べ、
家で揚げ物をあまりしないから、トンカツは外で食べる。

※写真は全部別の日です、念のため。
近所の猫に「また飲んだの」と言われた。

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