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日本手拭いの効用

日本手拭いを持つようになって久しい。大学時代に風呂敷を持ち歩くようになっていたが、日本手拭いは社会人になってからである。

汗かきの私にはタオルやハンカチは子どもの頃からの必需品であった。
私の父は日曜日になるといつも白地にどこかの会社の名前の入った日本手拭いを腰にぶら下げ庭仕事や自分の作業小屋で片付けをしていた。父の姿を見てあまり格好がよいとは思えなかった。それなのに日本手拭いを使い出したのには理由があった。ゼネコンでの営業マン時代ハンカチを二枚いつもスーツのポケットに入れていた。汗かきの私には二枚必要だった。そして、いつの頃からかそれはタオルのハンカチに変わった。
そんな私を見ていて父が一枚の新品の日本手拭いをくれた。その時の『よく洗って使えよ』との意味は使い出すまでわからなかった。

しばらく引き出しの奥にしまっていたそれを最初に使い出したのには合気道の稽古用であった。薄くて邪魔にならず汗を吸っても木綿地の手拭いはすぐに乾いた。そして洗う回数を重ねるほど生地は柔らかくなり汗も吸うのだった。
それからである。普段も持ち歩くようになったのは。
スーツでもおかしくない柄の手拭いが増えていった。

ヘッダー写真の『いせ辰』の手拭いはもう三十年くらい前に買ったものである。使っていると端がだんだんほつれてくるから時々ハサミを入れる。だからだいぶ短くなっている。使い易いのばかり使うのでこれが一番短くなってしまった。

父が亡くなり遺品を整理しているとたくさんの日本手拭いが出てきた。カラフルな日本画のプリントされた手拭いがあった。その中の何本かはフランスからやって来た合気道仲間と共に渡航させた。
この日本手拭いも日本の風土だから生まれ育ってきた道具の一つであろう。
SDGsを叫び出し久しいが、あんがい日本古来の文化ではずっとこのような事が行われてきたのではないだろうか。
日本の風土に合った木造建築、呼吸する素材である『木』は優しく人を守る。法隆寺は1400年もの間、奈良斑鳩の地に建ち私たち日本人の心の故郷になっている。今の鉄筋コンクリート、鉄骨造のビルがそのようになるとは思えない。建設業界での『スクラップアンドビルド』という言葉に違和感を感じていた。建設業者からしたら一番手っ取り早く仕事になるからいいのだが、使える物は最期まで使いたいと思って来た。

使う道具にはこだわりを持つ。使いやすく気に入った物を持ち歩きたい。そして、長く使いたい。だから少し初期投資は高くなるが、最終的には安くなっている。
駅のトイレで用を済ませ、古くなったいせ辰の手拭いをポケットから取り出してそんな事を考えていた。

今は亡き三菱銀行ですね。
昭和57年4月と入っていました。
11月の異名です。
松坂屋さん、毎月お客さんに配ってたんですね。

各企業が粗品として、記念品として日本手拭いを配った時期がありました。その頃にはどこのお宅にも日本手拭いはあったと思います。 我が家ではトイレの手洗い場に日本手拭いがありました。

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